Posted on 2013年2月22日
企業を基盤とする社会は、
個々の企業が自らの社会的意識にかかわらず、
社会の目的と安定に貢献することによってのみ機能する。
同時に、社会と企業の調和が必要であるということは、
社会が自らのニーズと目的を放棄し、
企業の経済的権力を規制する権限を
放棄しなければならないということではない。
それどころか、
社会的組織と個人の行動に一定の枠を課すことは、
政府の重要な役割である。
とはいえ、社会の心情や安定を理由として、
社会の代表的機関としての企業の存続と安定を損なう措置を
法制化することがあってはならない。
【企業とは何か】
Posted on 2013年2月21日
再設計や修正なしに、
長期にわたって成果をあげる活動はありえない。
あらゆる活動が陳腐化する。
この事実を無視するのが政府である。
何も止められないことが政府の最大の病であり、
かつその原因でもある。
企業の人たちも、
官僚たちと同じように昨日に愛着を持つ。
失敗すれば努力を倍加する。
しかし、幸い、企業は好きにしているわけにはいかない。
市場という冷徹な規律のもとにある。
客観的な尺度としての収益性がある。
意に染まなくとも、成功しないもの、
非生産的なものは捨てざるをえない。
【断絶の時代】
Posted on 2013年2月20日
知識労働者が誰かの部下であるということはあり得ない。
知識労働者はすべて同僚である。
見習いの段階を過ぎれば、
自らの仕事については上司より詳しくなければならない。
さもなければ、無用の存在となる。
まさに、組織の中の誰よりも詳しいことこそ、
知識労働者の知識労働者たるゆえんである。
空軍基地の気象予報官は、地位は基地司令官のはるか下である。
だが気象については、はるかに詳しくなければ役に立たない。
航空機の補修エンジニアも、航空機の状態については、
上司の空港所長よりもはるかに詳しい。
そのうえ、わずか数十年前と違い、
通常考えられているほどには、
上司の多くが部下の仕事をしてきた経験がない。
【明日を支配するもの】
Posted on 2013年2月19日
組織の精神とは、訓戒、説教、善意ではない。実践である。
第一に、組織の焦点は成果に合わせなければならない。
組織の精神は目線の高さを必要とする。
第二に、組織の焦点は、問題ではなく、機会に合わせなければならない。
第三に、異動、昇進、降級、解雇など人事の決定は、
組織の信条と価値観に沿って行わなければならない。
第四に、人事の決定は、真摯さこそ唯一の条件であり、
身につけていなければならない資質であることを示すものでなければならない。
【マネジメント】
Posted on 2013年2月18日
専門化した知識は、それ単独では何も生み出さない。
仕事に使われて、はじめて生産的な存在となる。
ここにこそ知識社会が組織社会になる原因がある。
組織の機能は共有する目的のもとに、
専門化した知識を統合することにある。
知識労働者が成果をあげるうえで
必要とする継続性をもたらしてくれるものは組織だけである。
知識労働者の専門化した知識をして成果をあげさせるものも組織だけである。
知識人は組織を道具として見る。
組織のおかげで、彼らは彼らのテクネ、
すなわちその専門化された知識を生かすことができる。
他方、マネジメントは知識を道具として見る。いずれも正しい。
【ポスト資本主義社会】
Posted on 2013年2月15日
企業家として成功した人を大勢知っているが、
リスク志向の人にはいなかった。
いわゆる「起業家的な人=リスク志向の人」にはあったことがありません。
成功した人たちに共通する点は一つだけ、
すなわちリスクを犯さないことということです。
彼らはみな、リスクを明らかにし、
それを最小限にしようとしていました。
そうでなければ成功はおぼつかなかったでしょう。
イノベーションを成功させる人たちは、
リスクを求めて飛び出すよりも、
時間をかけてキャッシュフローを調べる。
リスク志向ではない。機会志向である。
【イノベーションと企業家精神】
Posted on 2013年2月14日
未来学者は、自ら予測したことが
どれほど実現したかで的中率を測る。
予測しなかったもののうち、
重要なものがどれほど現実となったかは数えない。
予測したものすべてが実現することもある。
だが、彼らは最も重要なことを予測せず、
困ったことには、それらのことに関心を示すことさえない。
この予測の空しさは避けられない。
重大な変化は、価値観の変化、認識の変化、目的の変化など、
予測不能なものの変化によってもたらされるからである。
事業を行う者にとって重要なことは、
「すでに起こった未来」を確認することである。
社会、経済、政治において重要なことは、
「すでに起こった未来」を機会として利用することである。
それらの変化を認識し、分析する方法を開発することである。
「すでに起こった未来」
Posted on 2013年2月13日
10年、15年にわたって有能だった人が、
なぜ急に無能になるのか。
私が見てきたかぎり、
原因は、それらの例のほとんどにおいて、
昇進した人が、前の任務で成功したこと、
昇進をもたらしてくれたことを、
新しい任務においても行いつづけることにある。
その挙句、無能な仕事しかできなくなる。
正確には、無能になるのではなく、
たんに間違ったことをおこなうために
無能な仕事しかできなくなるのである。
新しい任務をおこなううえで必要なことは、
卓越した知識と才能ではない。
それは新しい任務が要求するもの、
新しい挑戦、仕事、課題において致命的に重要なものへの集中である。
【創生の時】
Posted on 2013年2月12日
予期せぬ失敗は、イノベーションの機会の兆候として受け止めなければならない。
分析するだけでは不十分である。
調べるために出かけなければならない。
たしかに、予期せぬ失敗の多くは、間違い、物真似、無能の結果である。
しかし、緻密に計画し、設計し、実行したものが失敗したときには、
失敗そのものが、環境の変化すなわち機会の存在を示すことが多い。
予期せぬ失敗は、顧客の認識や価値観の変化を示す。
製品、サービス、市場、戦略が前提としているものは、あっという間に陳腐化する。
顧客が価値観を変える。
同じものを異なる価値観で買うようになる。
【イノベーションと企業家精神】
Posted on 2013年2月8日
これまでマーケティングは、
販売に関係する全職能の遂行を意味するにすぎなかった。
それでは、まだ販売である。
われわれの製品からスタートしている。
われわれの市場を探している。
これに対し真のマーケティングは、
顧客の現実、顧客のニーズ、顧客の価値からスタートする。
「われわれは何を売りたいかではなく」、
「顧客は何を買いたいか」を考える。
「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、
「顧客が見つけようとし、価値ありとし、必要としている満足はこれである」という。
実のところ、販売とマーケティングは逆である。
同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。
【マネジメント 上】
Posted on 2013年2月7日
もちろん働く者が信頼しない組織は機能しない。
組織はそこに働く者がそれぞれ自らのニーズを
満たせるようにしなければならない。
現代の組織が、そこに働く者に位置づけと役割を
与えなければならないことはすでに明らかである。
しかし、働く者のほうも、
自らのもではない目的の実現のために働かなければならない。
働く者を満足させることは、
組織にとっては目的でも基準でもない。
そうであってはならない。
組織は組織の外の人達を満足させ、
組織の外の目的のために働き、
組織の外で成果をあげることが必要である。
このことは、組織それぞれが自らの目的は何であり、
成果が何であるかを知らなければならないことを意味する。
【断絶の時代】
Posted on 2013年2月6日
ベンチャーの企業家が金に無頓着であることはあまりない。
きわめて貪欲である。
彼らは利益を重視する。
だがそれは間違っている。
利益は結果としてもたらされるものであって最初に考えるべきものではない。
利益よりも、キャッシュ、資本、管理のほうが大事である。
それらのものがなければ利益の数字は絵空事に終わる。
目の前の利益など1年から1年半で消える。
成長には栄養が必要である。
成長するということは、資金余剰ではなく不足を意味する。
成長にはキャッシュが必要である。
利益は虚構である。
バランスシートの一項目にすぎない。
だがこの虚構に対しほとんどの国が税金をかける。
【イノベーションと企業家精神】
Posted on 2013年2月5日
一人で働き、一人で成果を生み出す人はわずかである。
わずかの偉大な芸術家、科学者、スポーツ選手である。
ほとんどの人は、他の人と共に働き、
他の人の力をかりて成果をあげる。
特定の組織に属していようが、独立していようが関係ない。
したがって成果をあげるには、
人との関係について責任を負わなければならない。
それには、人もまた自分と同じように、
人であるという事実を受け入れることである。
誰もが人として行動する。
すなわち、それぞれの人がそれぞれの強みを持つということである。
それぞれの仕事の仕方をもち、それぞれの価値観をもつということである。
【明日を支配するもの】
Posted on 2013年2月4日
第二次大戦中、陸軍の参謀長を務めたジョージ・C・マーシャル将軍は、
最高の人事を行い続けたことで有名である。
「何某大佐は兵士の訓練は最高ですが、上官とうまくいったことがありません。
将官に昇進させ、議会で証言させる必要が出てきますと大変です。
きわめて無礼な男ですから」との副官の指摘に対して、
マーシャルは、「任務は何か。訓練か。訓練が一流なら昇進させよう。
その後のことは私が引き受ける」といったという。
こうして彼はほとんど間違いをおかすことなく、
史上最大の軍事力を組織したのだった。
ここから学ぶべき教訓は、強みに焦点を合わせよである。
【非営利組織の経営】
Posted on 2013年2月1日
肉体労働では、なすべき仕事は決まっている。
家事従事者がなすべきことは、家の主がいう。
工場の肉体労働者がなすべきことは、
組み立てラインや機械が規定する。
これに対し知識労働では、
何をなすべきかが第一の、しかも決定的な問題になる。
知識労働はプログラム化されていないからである。
なすべきことを決めるのは知識労働者本人である。
なぜならば、最も高価な生産手段すなわち教育を手にし、
最も重要な道具すなわち知識をもっているのは知識労働者本人だからである。
したがって、知識労働の生産性を向上させるためには、
知識労働者自身に対し、なすべき仕事は何か、
何でなければならないか、何を期待してよいか、
何が邪魔であって、何をなくすべきかを、問わなければならない。
【明日を支配するもの】
Posted on 2013年1月31日
60代半ばを超えた人たちに適用すべき一つのルールがある。
マネジメント上の責任からは解放することである。
数年後に問題が起こったとき手を貸せないのであれば、
意思決定に関与してはならない。
高齢の役員は、ラインの長ではなく、
独立して行える仕事、
専門家として大きな貢献ができる仕事、
助言、教育、基準の設定、紛争の解決などの仕事に移るべきである。
マネジメントの仕事を行わせるべきではない。
日本の組織には顧問がいる。
ときには80代で役に立っている。
【マネジメント・フロンティア】
Posted on 2013年1月30日
利益の流れとコストの流れは同量ではない。
経理の帳簿や経営者の頭の中では、
利益とコストは循環しているが、現実は違う。
確かに、利益はコストを賄う。
しかし、利益を生み出す活動に意識的に力を入れないならば、
コストは何も生まない活動、単に多忙な活動に向かっていく。
資源や業績と同じように活動やコストも拡散する。
したがって、企業活動の評価と方向付けの見直しを常に行わなければならない。
しかもこの見直しは、見直しが最も必要でないと思われる活動、
すなわち現在の事業について最も必要とされる。
【創造する経営者】
Posted on 2013年1月29日
上司とは、肩書を超える存在である。
それぞれの仕方で仕事をする権利をもつ一個の人間である。
その上司を観察し、仕事の仕方を理解し、
上司が成果をあげられるようにすることは、部下たるものの責務である。
これと同じことを、ともに働く人全員について行わなければならない。
それぞれに、それぞれの仕事の仕方がある。
それぞれの仕方で仕事をして当然である。
重要なことは、ともに働く者の強みである。
仕事の仕方である。価値観である。
これらのすべてが、人によって違うのが当たり前である。
これらを理解し、ともに働く人全員が成果をあげられるように努めることが、
自らの成果をあげる第一の秘訣である。
【明日を支配するもの】
Posted on 2013年1月28日
第一に、同族企業は、
一族以外の者と比べて同等の能力をもち、
少なくとも同等以上に勤勉に働く者でない限り、
その一族の者を働かせてはならない。
第二に、一族の者が何人いようと、
また彼らがいかに有能であろうと、
トップマネジメントのポストの一つには必ず
一族以外の者を充てなければならない。
第三に、同族企業は、重要な地位に
一族以外の者を充てることをためらってはならない。
生産、マーケティング、財務、研究開発、人事に
必要な知識や経験は、あまりに膨大である。
そして最後に、トップの継承の問題については
適切な仲裁人を一族の外に見つけておかなければならない。
【未来への決断】
Posted on 2013年1月25日
意思決定とは行動を約束することである。
起こるべきことが起こらなければ、
意思決定を行ったことにはならない。
しかも、ここには一つ当然というべきことがある。
ほとんどの場合、行動する役目の者は、
意思決定を行った者ではないということである。
意思決定を行動に変えるには、
いくつかの問いに答えなければならない。
誰がこの意思決定を知らなければならないか、
いかなる行動が必要か、
誰がその行動をとるか、
行動する役目の者が行動できるためには、
その行動はいかなるものでなければならないか。
そして、意思決定を実行に移すための行動は、
その行動をとるべき者の能力に見合っていなければならない。
【経営者の条件】
Posted on 2013年1月24日
自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、
誰かに陳腐化させられること防ぐ唯一の方法である。
昔からこのことを理解して受け入れてきた企業がデュポンだった。
同社は1938年にナイロンを世に出したとき、
直ちに、これと競争できる新しい合成繊維の研究に取りかかった。
同時に価格を下げ、同社の特許を迂回することの魅力を小さくした。
これこそ、なぜデュポンが
今なお世界一の合成繊維メーカーの地位を占めているか、
また、なぜ同社のナイロンが依然として売れ続け、
かつ利益を上げているかの理由である。
【未来企業】
Posted on 2013年1月23日
単純であれば明快である。
全員が自らの仕事を理解し、
自らの仕事と全体の業績との関係を知る。
活動を集中する。
期待を明確に規定することもできるし、
成果を評価することもできる。
問題も少なくなる。
複雑になれば、原因を突きとめることが難しくなる。
複雑さはコミュニケーションの問題を起こす。
マネジメントの階層が増え、
書類と手続きが増え、会議が多くなり、意思決定が遅れる。
【マネジメント】
Posted on 2013年1月22日
私が13歳のとき、
宗教の先生が「何をもって覚えられたいかね」と聞いた。
誰も答えられなかった。
すると、「答えられると思って聞いたわけではない。
でも50歳になっても答えられなければ、
人生を無駄に過ごしたことになるよ」と先生は言った。
私はいつもこの問いを自らに問いかけている。
これは自己刷新を促がす問いである。
自分自身を若干違う人間として、しかし、
なりうる人間として見るよう仕向けてくれる問いである。
運の良い人は若いころ誰かにそう問いかけられ、
一生を通じて自らに問いかけ続けていくことになる。
【非営利組織の経営】
Posted on 2013年1月21日
重要なのはカリスマ性ではない。
リーダーシップとは人を惹きつけることではない。
惹きつけるだけでは扇動者にすぎない。
友達をつくり、影響を与えることでもない。
それでは人気取りにすぎない。
リーダーシップとは、人のビジョンを高め、
成果の水準を高め、
人格を高めることである。
そのようなリーダーシップの基盤として、
行動と責任についての厳格な原則、
成果についての高度な基準、
人と仕事に対する敬意を、
日常の実践によって確認していく組織の精神が必要となってくるのである。
【非営利組織の経営】
Posted on 2013年1月18日
マネジメント・サイエンス(経営科学)は、
一つの前提をもたなければならない。
企業とは有機体であるとの前提である。
企業とは、共同の事業へ自らの知識と技能と心身を
投ずる人たちからなる高度なシステムであるとの認識である。
樹木のような生物的システムであれ、
企業のような社会的システムであれ、
システムはすべて有機体である。したがって、
部分の改善や効率化が全体の改善につながるとはかぎらない。
部分の改善や効率化がシステム全体に害を与え、
場合によってはシステムそのものを破壊することさえある。
システム全体を強化する最善の方法が、
ある特定の部分の弱体化、
つまり曖昧化や非効率化であることさえある。
重要なことは、技術的な効率ではなく、
成長、均衡、調整、統合の結果としての全体の成果である。
【変貌する産業社会】
Posted on 2013年1月17日
マネジメントとは、個の責任とコミュニケーションを基盤とするものである。
組織の成員すべてが、自らの目標を考え、
他者がそれを理解していることを確かめなければならない。
同時に、自らが他者の恩恵を被っていることを考え、
他者がそれを理解していることを確かめなければならない。
さらに、他者に期待していることを考え、
他者がそれを理解していることを確かめなければならない。
マネジメントは、ニーズと機会の変化に応じ、
組織とそこに働く者を成長させなければならない。
【新しい現実】
Posted on 2013年1月16日
真摯さはごまかせない。
ともに働く者、とくに部下には、
上司が真摯であるかどうかが数週間でわかる。
無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大かもしれない。
だが、真摯さの欠如は許さない。
そのような者を自分たちの上司に選ぶことを許さない。
このことは特にトップについていえる。
組織の精神はトップから生まれるからである。
組織が偉大たりうるのは、トップが偉大だからである。
組織が腐るのはトップが腐るからである。
「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。
範とすることのできない者を高い地位につけてはならない。
【マネジメント】
Posted on 2013年1月15日
今日、働く者すなわち労働力の重心が、
決められたことを行なうだけだった肉体労働者から、
自らをマネジメントする知識労働者へと移行したことが、
社会の構造を大きく変えつつある。
これまでの社会は、いかに個を尊重するにせよ、
あくまでも次の二つのことを当然としてきた。
第一に、組織はそこに働く者よりは長命であり、
第二に、そこに働く者は組織に固定された存在だった。
ところが、自らをマネジメントするということは、
これとは逆の現実に立つ。
アメリカでは、働く者が組織を離れ動くことは一般化した慣行である。
そのアメリカでさえ、働く者が組織より長命であって、
したがって第二の人生が必要になるなどということは、
これまでに誰にも心構えのなかった生き方革命であった。
【明日を支配するもの】
Posted on 2013年1月11日
組織は道具である。
他のあらゆる道具と同じように、
組織もまた専門化することによって、
目的遂行能力を高める。
しかも、組織は限定された知識を持つ専門家によって構成される。
したがって、目的すなわち使命が明確であることが必要である。
組織は一つの使命しか持ってはならい。
さもなければ、組織のメンバーは混乱する。
それぞれの専門家が、
自らの専門能力を中心として自己中心的に動くようになる。
それぞれの専門能力が組織の共通の課題に向けられなくなる。
その結果、それぞれが自らの専門能力に従って成果を定義するようになる。
それぞれが自らの価値観を組織に押しつけようとする。
共通の使命だけが組織を束ねるのだ。
【ポスト資本主義社会】
Posted on 2013年1月10日
企業が自ら生み出していると考えるものが重要なのではない。
特に企業の将来や成功にとって重要ではない。
顧客が買っていると考えるものが重要である。
企業が何であり何を生み出すかを規定し、
企業が成功するかを決めるのはそれらのものである。
顧客が企業の土台として企業の存在を支える。
顧客だけが雇用を創出する。
社会が企業に資源を託しているのは、
その顧客に財とサービスを供給させるためである。
【現代の経営 上】
Posted on 2013年1月9日
組織社会において、人は自らの組織を
自らの目的、価値、欲求に役立たせるために
体系的な情報を必要とする。
彼らもまた先祖が耕作につい学んだように、
組織にについて学ばなければならない。
人生から何を得るかを問い、
得られるものは自らが投じたものによることを知ったとき、
人は人として成熟する。
組織から何を得るかを問い、
得られるものは自らが投じたものによることを知ったとき、
人は人として自由となる。
社会を機能させるには、
マネジメントの方法、
すなわち一人ひとりの人間の働きによって、
組織に成果をあげさせる方法を知らなければならない。
社会を自由なものにするためにも、
組織のマネジメントの方法、
すなわち組織の中で仕事をして、
自らの目的、価値、成果に役立たせる方法を知らなければならない。
【断絶の時代】
Posted on 2013年1月8日
それぞれすべての働く者が、
「わが社の製品の場合、値下げは需要増につながらない」
「わが社ではこれはやるが、あれはやらない」
ということを知っていると思っている。
言い換えるならば、それぞれが、
「われわれの事業は何か。何であるべきか」
についての答えを持っていると思っている。
したがって、企業自らが、つまりトップマネジメントが、
この問いについて徹底的に検討を行い、
答えを出しておかなければ、
上から下にいたるあらゆる階層の者が、
それぞれ相異なる両立不能な矛盾した事業の定義に従って決定を行い、
行動することになる。
互いの違いに気づくことなく、反対方向に向かって努力を続ける。
あるいは揃って間違った定義に従い、
間違った決定を行い、間違った行動をする。
【マネジメント 上】
Posted on 2013年1月7日
昨日の企業とは異なり、今日の企業は組織のほとんどあらゆる階層に、
高度の知識と技術を持つ者を多数抱える。
その結果、企業とその能力に直接影響を与える決定が、
組織のあらゆる階層においてなされている。
「何を行い、何を行わないか」
「何を続け、何をやめるか」
「いかなる製品、市場、技術を追求し、
いかなる市場、製品、技術を無視するか」などの
リスクを伴う決定が、かなりの下の地位の、
しかもマネジメント上の地位や肩書のない研究者、
設計技師、製品計画担当者、税務会計担当者によってなされている。
【マネジメント 上】
Posted on 2013年1月4日
真摯さを定義することは難しい。
しかし真摯さの欠如は、
マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。
人の強みよりも弱みに目がいく者をマネジメントの地位につけてはならない。
人のできることに目の向かない者は組織の精神を損なう。
マネジメントに携わる者は現実家でなければならない。
評論家であってはならない。何が正しいかよりも、
誰が正しいかに関心を持つ者をマネジメントの地位につけてはならない。
誰が正しいかを気にすると、部下は無難な道をとる。
犯した間違いを正すよりも隠そうとする。
真摯さよりも頭の良さを重視する者をマネジメントの地位につけてはならない。
有能な部下に脅威を感じる者もマネジメントの地位につけてはならない。
そして、自らの仕事に高い基準を設定しない者を
マネジメントの地位につけてはならない。
【マネジメント】