2015年

2015年11月27日組織で成果を上げる能力は生まれつきのものか、それとも習得するものか
2015年11月22日リスクの大小はリスクの大きさではなくリスクの性格で判断する
2015年11月13日イノベーションに成功する者は左脳と右脳の両方を使う
2015年11月1日真摯さに欠ける者は組織の文化を破壊し業績を低下させる
2015年10月24日意思決定において意見の不一致こそが問題への理解を促す
2015年10月17日知識社会とは組織社会である。組織を使いこなすためのマネジメントが必要になる
2015年10月11日成長するということは能力を習得するだけでなく人間として大きくなることである
2015年10月02日上司をマネジメントし、彼らの成果を上げることが部下自身の成果を上げることにつながる
2015年9月26日同族企業には原則がある。外部の者以上に働かない限り、一族を働かせてはならない。
2015年9月21日企業経営というものに唯一絶対の答えはない「見直し」が必要である
2015年9月6日ごくわずかの例外を除き原則と手順を理解していれば問題は実務的に解決できる
2015年8月29日ベンチャー企業では発展・成長に伴い創業者の役割が変わる
2015年8月20日企業家精神の原理は変化を当然のこととする行動であり姿勢である
2015年7月14日リーダーシップとは組織の使命を考え抜き、それを明確に確立することである
2015年6月27日仕事の質が変われば人間そのものが変わる。卓越性を追求せよ
2015年6月11日利益は目的や動機ではない。事業を継続・発展させるためのコストである。
2015年6月5日市場はあくまで非情である。トップマネジメントは社外で働くことを学べ
2015年6月2日イノベーションに優れた企業は競争相手によってではなく自らの手で自らを陳腐化させる
2015年5月29日知識労働者に対して自己実現の機会を与えてこそ組織は忠誠を獲得できる
2015年5月20日イノベーションの第一歩は陳腐化したものを計画的に捨てることである
2015年5月13日これからの20年、30年、仕事を心躍るものにするには目線を上げて自らを駆り立てよ
2015年4月29日人は得意な仕事の仕方で成果を上げていく、得意な仕方を向上させよ
2015年4月26日知識があって、理解力があり、懸命に働くだけでは十分ではない。
成果を上げるにはこれらとは違う何かが必要である

2015年4月16日企業の長期的な成果は短期的な成果の累積にあらず
2015年4月3日ほとんどの企業は本当に重要な数字について知ろうとはしていない
2015年3月30日65歳定年は誤り、高年齢者パワーをあなどるなかれ
2015年3月12日組織の全員が自ら変化を引き起こすチェンジ・エージェントたれ
2015年3月1日組織の優劣は、平凡な人間をして非凡なことをなさしめるか否かにある
2015年2月20日組織の中にプロフィットセンターはない、すべては顧客のところにある
2015年2月13日自由市場といっても無秩序な市場は存在しない。不心得者は淘汰される
2015年1月31日社員流動化時代に「人が宝」をお題目にしない
2015年1月27日組織が存在するのは、組織自身のためではない。
企業をはじめとするあらゆる組織が、社会の一機関である

2015年1月4日「変な客こそ、本命」予期せぬ成功がイノベーションにつながる

組織で成果を上げる能力は生まれつきのものか、それとも習得するものか

Posted on 2015年11月27日

『私は、成果を上げるタイプなどというものは存在しないことにかなり前に気づいた。
私が知っている成果を上げる人は、
気力と能力、行動と方法、正確と知識と関心など、
あらゆることにおいて千差万別だった。
共通点は、なすべきことをなす能力だけだった』
ドラッカーは、成果を上げる能力は、生まれつきのものか、
後天的に習得するものかと問い、習得するものだと断言する。

かつて社会のパワーセンターは、国王をはじめ少数の支配者だった。
今日では、組織とともに働く一人ひとりの人間である。
全員が成果を上げる能力を習得し、
トップのように働かなければ、組織の成功、社会の変革はない。

そこでドラッカーは、プラトンからマキャベリに至る賢人たちが
時の支配者とその後継者たる王子たちに教えたように、
現代社会の担い手たる我々普通の者に教える。

こうして、万人のための帝王学として、
今日でも版を重ねている名著が『経営者の条件』である。
わずか200ページ少々の本である。

ドラッカーが習得できるし習得せよとする能力、
つまりなすべきことをなす能力は、五つある。

第一が、時間を管理すること、
つまり、何に時間を取られているかを知り、残されたわずかな時間を体系的に使うことである。

第二が、世の中への貢献に焦点を合わせることである。
すなわち、成果に精力を向けることである。

第三が、自らの強みに基準を据えることである。
上司、同僚、部下についても、強みを中心に据えることである。

第四が、力を集中することである。
優先順位を決め、それを守ることである。

そして第五が、成果をもたらすよう意思決定を行うことである。

ドラッカーは組織は人だという。いかに資金を持ち、
設備を擁していようとも、人を得なければなにもできない。
組織としての活動ぶりはいまだ未熟である。
膨大な資源が企業、政府機関、病院、大学に集められている。
だが成果はあまりに平凡であり、活動はあまりに散漫である。
あまりに多くの資源が昨日のために費やされ、
意思決定と行動を避けるために費やされている。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

リスクの大小はリスクの大きさではなくリスクの性格で判断する

Posted on 2015年11月22日

リスクには基本的に、4つの種類がある。
第一に負うべきリスク、
第二に負えるリスク、
第三に負えないリスク、
第四に負わないことによるリスクである。

世界で最初の、かつ今日に至るも最高の経営戦略書とされている
『創造する経営者』において、
ドラッカーは、経営計画では、
まずリスクの種類を明らかにせよと言った。

第一に、事業を行う限りは負うべきリスクがある。
産業ごとに負うべきリスクは異なる。
製薬会社にとって、新薬開発に伴うリスクこそ、
負うべきリスクの典型である。
リスクが嫌ならば撤退するしかない。
人を助けるべきものが人を傷つけるかもしれないという、
製薬会社にとっては悲痛なリスクである。
過去には、サリドマイド禍があり、
小児麻痺ワクチンによる死亡事故もあった。

第二のリスクと第三のリスクはペアである。
一方に負えるリスクがあり、一方に負えないリスクがある。
失敗しても多少のリスクで済むという、負えるリスクである。
逆に失敗したら会社がつぶれるというのは、負えないリスクである。

ここにもう一つ、負えないリスクがある。
成功しても、その成功を利用できないというリスクである。
失敗すれば、投じた資金を失うだけで済む。
しかし、成功すれば人手と資金の追加が必要となる。
その時に調達できなければ、
それはもともと負えないリスクだったということになる。

したがって、、新しい事業に手を出すにあたっては、
後からやって来るどこかの大企業の
水崎案内人に終わらないか考えなければならない。

そして第四が、負わないことによるリスクである。
その典型が、乗り遅れのリスクである。
米GE(ゼネラル・エレクトリック)は、
原子力発電は顧客たる電力会社にとって採算が合わない、と見た。
しかし、発電機メーカーの雄としては、
たとえ万一であっても乗り遅れるわけにはいかなかった。
そこで、一流の人材を投入し、膨大な投資を行った。

もちろん何かを起こすにはリスクが伴う。
しかしそれは合理的な行動である。
何も変わらないという居心地のよい仮定に安住したり、
ほぼ間違いなく起こることについての予測に従うよりも、
リスクは小さい。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

イノベーションに成功する者は左脳と右脳の両方を使う

Posted on 2015年11月13日

イノベーションとは理論的な分析であるとともに、
知覚的な認識である。
イノベーションを行うに当たっては、
外に出、見て、問い、聞かなければならない。

ドラッカーは、1000件に上るイノベーションの事例を集めて、
それらの発想にいたる契機を一つ一つ調べて分類していったと伝えられる。
世界は複雑で膨大だからこそ、一つ一つを調べていく。
だからこそ思わぬ発見をする。

ニューヨーク大学の大学院で夜間の授業を担当していた頃のことである。
発明発見は、イノベーションの種としては、
成功の確率は高くはなかった。
逆に日常業務における予期せぬことが
イノベーションとして成功していることが分かった。

ドラッカーは、イノベーションの機会は7つあるという。
それを打率順に見ると、予期せぬ成功と失敗、ギャップ、ニーズ、
産業構造、人口構造、認識の変化、発明発見というように並んだという。
これらイノベーションの機会は市場の分析と技術の分析によって
さらに詳しく知ることができる。

しかし、左脳の出番はここまでである。
ここから先、いよいよイノベーションを成功させるのは右脳だという。
イノベーションに対する社会の需要度は、
知覚によって知らなければならない。理論ではない。
顧客にとっての価値も、そのようにして知らなければならない。
製品化へのアプローチの仕方が、
やがてそれを使うことになる人たちの行動や期待にマッチしているかも、
知覚によって知らなければならない。
こうして初めて、やがてそれを使うことになる人たちが、
そこに価値を見出すようになるには、
何と何が必要かとの問いを発することができるようになる。
さもなければ、
せっかくのイノベーションも間違ったかたちで世に出すことになる。
そして失敗し、誰か後発の者に実りを持って行かれる。

イノベーションに成功する者は左脳と右脳を使う。
数字を見るとともに人を見る。
いかなるイノベーションが必要かを分析をもって知った後、
外に出て、知覚をもって顧客や利用者を知る。
知覚をもって、彼らの期待、価値、ニーズを知る。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

真摯さに欠ける者は組織の文化を破壊し業績を低下させる

Posted on 2015年11月1日

日頃言っていることを昇格人事に反映させなければ、
優れた組織をつくることはできない。
本気なことを示す決定打は、
人事において、断固、人格的な真摯さを評価することである。
なぜなら、リーダーシップが発揮されるのは、
人格においてだからである。

ドラッカーによれば、
人間のすばらしさは、強みと弱みを含め、多様性にある。
同時に、組織のすばらしさは、
その多様な人間一人ひとりの強みをフルに発揮させ、
弱みを意味のないものにするところにある。

だからドラッカーは、弱みは気にしない。
山あれば谷あり。むしろ、まん丸の人間には魅力を感じない。
ところが、ひとつだけ気にせざるをえない弱みというものがある。
それが、真摯さの欠如である。
真摯さが欠如した者だけは高い地位につけてはならないという。

ドラッカーはこの点に関しては恐ろしく具体的である。
人の強みではなく、
弱みに焦点を合わせる者をマネジメントの地位につけてはならない。
人のできることは何も見えず、
できないことはすべて知っているという者は組織の文化を損なう。
何が正しいかよりも、
誰が正しいかに関心をもつ者も昇格させてはならない。
仕事よりも人を問題にすることは堕落である。

真摯さよりも、頭脳を重視する者を昇進させてはならない。
そのような者は未熟である。
有能な部下を恐れる者を昇進させてもならない。
そのような者は弱い。

仕事に高い基準を設けない者も昇進させてはならない。
仕事や能力に対する侮りの風潮を招く。
判断力が不足していても、害をもたらさないことはある。
しかし、真摯さに欠けていたのでは、
いかに知識があり、才気があり、仕事ができようとも、
組織を腐敗させ、業績を低下させる。

真摯さは習得できない。
仕事についたときにもっていなければ、
後で身につけることはできない。
真摯さはごまかしがきかない。

一緒に働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間で分かる。
部下たちは、無能、無知、頼りなさ、不作法など、
ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。
そして、そのような者を選ぶマネジメントを許さない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

意思決定において意見の不一致こそが問題への理解を促す

Posted on 2015年10月24日

成果をあげる者は、意図的に意見の不一致をつくりあげる。
そのようにして、もっともらしいが間違っている意見や、
不完全な意見によってだまされることを防ぐ。

ドラッカーは、意思決定の過程では意見の不一致が必要だという。
理由は三つある。
第一に、組織の囚人になることを防ぐことである。
組織では、あらゆる者が、あらゆる決定から何かを得ようとする。
特別のものを欲し、善意の下に、都合のよい決定を得ようとする。
そのようなことでは、小さな利害だけで決定が行われる。
問題の理解抜きでそのような決定の仕方は、きわめて危険である。

第二に、選択肢、つまり代案を得るためである。
決定には、常に間違う危険が伴う。
最初から間違っていることもあれば、状況の変化によって間違うこともある。
決定のプロセスにおいて他の選択肢を考えてあれば、
次に頼るべきものとして、十分に考えたもの、
検討済みのもの、理解済みのものを持つことができる。
逆に、全員一致で決めていたのでは、
そのきめられたものしか案がないことになる。

第三に想像力を刺激するためである。
理論づけられ、検討し尽くされ、かつ裏付けられている反対意見こそ、
想像力にとって最も効果的な刺激剤となる。
素晴らしい案も生まれる。

明らかに間違った結論に達している者は、
自分とは違う現実を見て、
違う問題に気付いているに違いないと考えなければならない。
もし、彼の意見が知的かつ合理的であるとするならば、
かれはどのような現実を見ているのかを考えなければならない。
意見の不一致こそが宝の山である。
意見の不一致が問題への理解をもたらしてくれる。

いかなる問題であれ、意見の不一致が皆無などということは奇跡である。
いわんや四六時中奇跡を起こしているなどということは
あり得ないと心得るべきである。
それでは社長が一人いればよいことになる。

後で不祥事となった行動の多くが、
ろくに議論もされず決められていることは偶然ではない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

知識社会とは組織社会である。組織を使いこなすためのマネジメントが必要になる

Posted on 2015年10月17日

知識労働者は必然的に専門家たらざるを得ない。
ということは、組織と関わりながら働くことを意味する。
成果を上げるうえで必要な継続性を提供できるものは、組織だけである。
専門家した知識に成果をあげさせるものは組織をおいてない。

個を重視するドラッカーが、
組織社会では、成果をもたらすものは個人ではないという。
個人は成果の発生源というよりも、コストの発生源である。
成果をもたらすものは組織である。
組織社会の組織の役割は、それほどに大きい。

産業革命以降、生産手段が大規模化したために、
ほとんどの人間が、生計の資を組織に求めるようになった。
加えて、自己実現の場を組織に求めるようになった。
しかも、必要とされる知識が高度になったために専門化し、
一つの知識では成果をもたらしえなくなり、
組織を通じて働くことが当然となった。

知識が力を発揮するのは他の知識とコラボレーションしたときである。
そのうえ、人は入れ替わる。
継続性を保証するのは、個人ではなく、組織である。
したがって、知識社会とは、ほとんどの社会的機能が、
組織の中で、あるいは組織を通じて遂行されるという組織社会である。
だからこそ、組織を使いこなさなければならない。

その組織の運営の仕方がマネジメントである。
ところが、組織社会の到来があまりにも最近のことであるために、
組織の使命の実現についても、
組織に働く人たちの自己実現についても、
マネジメントの発展はいまだ緒についたばかりの段階にある。

ドラッカーは、マネジメントを発明したことで有名である。
しかしわれわれは、そのドラッカーが発明したものを、
知った気でいながらも。まだ十分に知らないのではないかと思うのである。
組織は、いかなる名でよぼうともマネジメントに相当するものを必要とする。
その組織が目的とするものが何であるにせよ、すべてマネジメントを必要とする。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

成長するということは能力を習得するだけでなく人間として大きくなることである

Posted on 2015年10月11日

能力がなくては優れた仕事はあり得ず、
自信もあり得ず、人としての成長もありえない。
ドラッカー自身、かかりつけの腕の良い歯科医に聞いたことがあるという。
「あなたは何によって憶えられたいか」
「ドラッカーさん、あなたが変な亡くなりかたをする。
すると死亡解剖だ。その時、解剖医が、
の人は一流の歯科医にかかっていたと言ってくれれば、私は満足だ」

能力は十分ある。研鑽にも励んできた。
自信は満々である。すでに魅力ある人物である。
この歯科医は、ドラッカーの唐突な問いにちょっと反発したのかもしれない。
しかも、堂々たる答えである。だから、ドラッカーは言う。
「この人とただ食べていくだけの仕事しかしていない歯科医との差の
なんと大きなことか」

ドラッカーは、ペーパーワークと医師の要求に追われている看護師は、
大勢の患者を見ながらこういわなければならないという。
「あの患者さんたちが、私たちの仕事だ。他のことは邪魔でしかない。
この本来の仕事に集中するには、どうしたらよいか。
仕事のやり方に問題があるかもしれない。
もっと良い看護ができるよう、仕事のやり方を変えられないか」
これが本当の継続学習である。

自分たちの能力を自分たちで開発している。
こういう看護師が大勢いる病院のことは誰も忘れない。
患者も忘れないし、医師も忘れない。
不思議なことに、患者の回復も早い。
もちろん自信もあれば、全員が輝いてもいる。
こうしてすべてが好循環を始める。

ドラッカーは自らを成果を上げる存在にできるのは、自らだけだという。
成功の鍵は責任にある。自らに責任をもたせることにある。
責任ある存在になるということは、
自らの総力を発揮する決意をすることである。

仕事が人間形成につながることを、
これほどはっきり言ってくれるとは、さすがドラッカーである。
成長するということは、能力を習得するだけでなく、
人間として大きくなることである。
責任に重点をおくことによって、
より大きな自分を見るようになる。
うぬぼれやプライドではない。
誇りと自信である。
一度身に付けてしまえば失うことのない何かである。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

上司をマネジメントし、彼らの成果を上げることが部下自身の成果を上げることにつながる

Posted on 2015年10月2日

現実は企業ドラマとは違う。部下が無能な上司を倒し、
乗り越えて地位を得るなどということは起こらない。
上司が昇進できなければ、
部下はその上司の後ろで立ち往生するだけである。

ドラッカーは、いかにして機能する社会をつくり、
組織に成果を上げさせ、
一人ひとりの人間に自己実現させるかについて考えた。
すべて社会的存在としての人間の幸せのためである。

そのドラッカーが、上司のマネジメントの仕方を教える。
なぜと問うならば、あなたが上司に成果を上げさせることが、
組織に成果を上げさせ、全人類の福祉に貢献させるからだと答える。

上司にいかに対処するかに悩まない者はいない。
大勢の人が教えてもらいたがっている。
ドラッカーの答えは簡単である。
仕事で成果を上げている者ならば、皆知っていることだという。
上司の強みを生かすことである。
それは部下自身が成果を上げるカギでもあるという。
「昇進していく上司の部下になることが、
成果を上げるためのベストの方法である」
しかし、念には念を入れなければならない。
上司が成果を上げるためには、何が役に立ち、
何が邪魔になっているのかを直接本人に聞かなければならない。

もっとも、上司を改造し、経営学の教科書に書いてある
理想的上司のモデルに仕立て上げようなどと考えてはならない。
あるがままの上司が、個性ある人間として
存分に仕事ができるようにすることが部下たる者の努めである。

もう一つ務めがある。上司を不意打ちから守ることである。
「ビジネスの世界に、うれしい不意打ちはなく、
責任あることについて不意打ちされることは、
恥をかかされ、傷つけられることになる」からである。

『上司をマネジメントすることが重要であることを
認識している者があまりに少ない。困ったことには、
上司をマネジメントできることを知っている者もあまりいない。
上司についてこぼしはしても、
彼らをマネジメントしようと試みる者はさらにいない。

しかし、上司のマネジメントはかなり容易である。
部下のマネジメントよりもはるかに容易である。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

同族企業には原則がある。外部の者以上に働かない限り、一族を働かせてはならない

Posted on 2015年9月26日

経済成長の活力は、巨大企業から、
同族企業を含む中堅企業へと移行しつつある。
現代の経営では、
官営の大工場を民間の有力者に払い下げて、
新しい産業をつくるわけにはいかない。
いわんや国有国営の企業に産業を任せるわけにもいかない。
となれば、主役は民間の大企業、中堅企業における多角化であり、
中小企業の成長である。

ドラッカーは、中小企業、特に同族企業を支援し、
その事業承継を容易にすることが起業家精神の観点から重要だという。
現実の問題として、多くの企業が、
一人ないしは数人の手によってつくられ、
同族として発展を始める。

もはや、同族がよいか悪いかが問題ではない。
個を重視するからには、個による企業を当然としなければならない。
とすれば、同族への承継も当然としなければならない。
一代限りで没収というわけにはいかないし、
没収同然というわけにもいくまい。

ここにおいて同族企業の側も、
同族企業のマネジメントについての原則を知り、
その根底にある理念を理解しなければならない。
それは、同族企業にせよ、会社を所有する一族にせよ、
一族が同族企業に奉仕する場合にのみ繁栄できるということである。

反対に、働く者が一族に奉仕すべくマネジメントするようでは、
同族企業と一族のいずれもが繁栄できない。
生き残ることすらできないであろう。

ドラッカーは、同族企業という言葉で鍵となるのは、
前半の「同族」ではなく、「企業」のほうだという。
同族以外の者並みの能力を持ち、
少なくとも同族以外の者以上に働く者でない限り、
同族企業で働かせてはならない。
出来の悪い甥を働かせて給料を払うくらいなら、
来ないように金をあげたほうが安くつくという。

初代のロスチャイルドは、ロンドン、パリ、ウィーン、
フランクフルトに4人の息子を配置した。
本当は、ニューヨークにもう一人置きたかったが、
人柄は良くても仕事ができない五男坊には任せられなかった。
肩書だけでも、というわけにもいかず、
ナポリで生涯を優雅に過ごさせたという。
『同族企業では、一族の者は肩書や仕事が何であれ、
事実上、トップマネジメントの一員である』

【3分間ドラッカー 上田惇生】

企業経営というものに唯一絶対の答えはない「見直し」が必要である

Posted on 2015年9月21日

マネジメントの値打ちは、医療と同じように、
科学ではなく患者の回復によって判断しなければならない。
マネジメントとは変化する世の中にあって、
大勢の人間が共通の使命の下に成果を上げるための方法である。

確かに、サイエンスの部分はある。
しかし決め手は成果であり、うまくいくか、いかないかである。
人を生き生きと働かせ、世のため人のために
優れた財・サービスを豊富かつ安価に提供し続けられるかである。

いかに立派なビジネスモデルを構築し、
高度の数式モデルを駆使し、豊富なデータを収集しようとも、
経営の役に立たなければ無益である。

それだけではない。
たとえ今うまくいたとしても、
あるいは今までずっとうまくいっていたとしても、
経営環境の変化を織り込めずに不適切なものとなることがある。

上げるべき成果を上げられなくなりそうになれば、
ただちに打開策を講じなければならない。
ドラッカーは今から68年前の1943年、
世界最大最強の自動車メーカーだったGMを調査して、
その報告書ともいうべき「企業とは何か」を書いた。
GMの経営を高く評価しつつも、
20年もの長きにわたって成功してきたからこそ、
見直すべきであると強く示唆した。

そのために終始協力的だった同社幹部たちからは不興を買った。
当時のGMは、
事業部制を中心に練りに練った自らの組織体制に自信満々で、
マネジメントという名のサイエンスでは先端にあると
自負していたからであった。

ところがドラッカーは、
経営というものは人の手になるものであるがゆえに、
唯一絶対、足ることはあり得ない、と見直しの必要性を説いた。
ドラッカーの宇宙観の根本は、絶対にして不動のものはなく、
かつ万物は変化して少しの間もとどまらないというものである。
だからこそ、「見直せ」、「見直せ」と口を酸っぱくして言うのである。

『私は唯一無二の答えというものは信じない。
いかなる答にも間違いの惧れがある。しかも、経営政策を含め
人間社会にかかわる事項において重要なことは、
正しいか間違いかではない。うまくいくかいかないかである』

【3分間ドラッカー 上田惇生】

ごくわずかの例外を除き原則と手順を理解していれば問題は実務的に解決できる

Posted on 2015年9月6日

成果を上げるには意思決定の数を多くしてはならない。
重要な意思決定に集中しなければならない。
ドラッカーは、問題の根本を理解して意思決定をしなければならないという。
不変のものを見なければならない。

したがって、決定の速さを重視してはならない。
あまりに多くのことを操ることは、思考の不十分さを表す。
まず初めに、何についての決定であり、
何を満足させるための決定であるかを考える必要がある。

基本を理解して決定すべきものと、
個々の事情に基いて決定すべきものを峻別しなければならない。
さらに、基本的な問題か例外的な問題か、
何度も起こることか、個別に対処しなければならないことか
を問わなければならない。

真に例外的な問題は少ない。
問題のほとんどは、誰かがどこかで会っている。
あるいは、まだ分からない何か新しいことの最初の現れかもしれない。
真に例外的なごくわずかの問題を除き、
あらゆる問題が、基本の理解に基づいた解決策を必要とする。
一度正しい原則を得たならば、
同じ状況から発する問題は、すべて実務的に処理できる。

圧倒的に多くみられる間違いは、
一般的な状況を特殊の問題の連続として見ることである。
一般的な状況としての理解を欠き、
したがって解決についての原則を欠くために、
現場対応的に処理することである。その結果は常に失敗と不毛である

【3分間ドラッカー 上田惇生】

ベンチャー企業では発展・成長に伴い創業者の役割が変わる

Posted on 2015年8月29日

まさに事業として成功し、成人したかに思われたそのときに、
理解できない苦境に立つ。
製品は一流、見通しは明るい。だが事業は成長しない。
原因は常に同じである。トップマネジメントの欠落である。

そのとき、すでに適切なチームがなければ手遅れである。
生き延びることで精いっぱいとなる。
たとえ、生き延びても、不治の機能不全に陥るか、
少なくとも数年は出血が止まらない。士気は衰える。

従業員は幻滅し、熱気は失われる。
事業をつくり、気づきあげた創業者は追い出される。
対策は簡単である。創業者自身が、いつまでも、
すべてを自分一人でマネジメントするのではなく、
トップマネジメントのチームに引き継がせる決意をしなければならない。

客観的な指標により、
3~5年後に倍の規模に成長することが明らかならば、
トップマネジメントチームの構築が急務となる。
創業者自身が、事業にとって重要な活動について、
主な人たちと相談しなければならない。
主な人たち一人ひとりが、自分が得意とするものは何か、
他の人たちが得意とするものは何かを考える。
それぞれの強みに応じて、誰がいずれの活動をすべきか、
誰がどの活動に向いているかを検討する。

『ベンチャーが発展し成長するに伴い、
創業者たる起業家の役割は変わらざるを得ない。
これを受け入れなければ、事業は窒息し、破壊される』

【3分間ドラッカー 上田惇生】

企業家精神の原理は変化を当然のこととする行動であり姿勢である

Posted on 2015年8月20日

企業家精神というと、100人に1人が持つという感覚である。
100人に1人の才能としかねない。
ドラッカーは、そこがそもそもの間違いだという。
それは気質でも才能でもない。

ただし、ひとつだけ企業家精神に向かない気質がある。
確実性を旨とする気質である。
それはそれで立派な気質だが、企業家には向かないという。
しかし、意思決定を行うことができるならば、学習を通して、
企業家として企業家的に行動することができるようになる。
企業家精神とは、気質ではなく、行動であり、同時に姿勢だからである。

イノベーションは、才能とも関係がない。
企業家精神の才能などはなく、
方法論が必要なだけなのである。
それが今、ようやく、各所で開発中である。

ドラッカーは、企業家精神はインスピレーションとも、
ほとんどあるいはまったく関係ないという。
逆にそれは、厳しく、組織的な作業である。
企業家に天才的なひらめきがあるというのは、神話にすぎない。
ドラッカー自身、60年以上にわたっていろいろな企業家と仕事をしてきた。
ベンチャーを立ち上げた人もいれば、社内企業家もいた。
どの人も働き者だったという。
天才的なひらめきを当てにするような人は
ひらめきのように消えていったという。

イノベーションは、変化を利用することによって成功するのであって、
変化をもたらそうとすることによって成功するのではない。
ということは、変化を当然のこととして受け止めることである。
日本人にとって、諸行無常を旨とすることは、おなじみなのではないか。

本人が自覚しているか否かにかかわらず、
あらゆる仕事が原理にもとづく。
企業家精神も原理にもとづく。
企業家精神の原理とは、変化を当然のこととすることである。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

リーダーシップとは組織の使命を考え抜き、それを明確に確立することである

 Posted on 2015年7月14日

真のリーダーは、妥協を受け入れる前に、
何が正しく、望ましいかを考え抜く。
リーダーの仕事は、明快な音を出すトランペットになることである。

ドラッカーは
リーダーシップとは、人を惹きつける個性のことではないという。
そのようなものは扇動的資質にすぎない。
また、仲間をつくり、人に影響を与えることでもないという。
そのようなものはセールスマンシップにすぎない。

カリスマ性でも資質でもないとすると、リーダーシップとは何か。
ドラッカーはリーダーたることの第一の要件は、
リーダーシップを仕事と見ることだという。

信頼がない限り、従う者はいない。
そもそも、リーダーに関する唯一の定義が、
付き従うものがいることである。
信頼するということは。必ずしも好きになることではない。
常に同意できるということでもない。
リーダーの言うことが真意であると確信を持てるということである。
それは真摯さというまことに古臭いものに対する確信である。

リーダーが公言する信念とその行動は、一致しなければならない。
リーダーシップは、賢さに支えられるものではない。
一貫性に支えられるものである。
『リーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、
それを目に見える形で明確に確立することである。
リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、
それを維持するものである』

【3分間ドラッカー 上田惇生】

仕事の質が変われば人間そのものが変わる。卓越性を追求せよ

Posted on 2015年6月27日

成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。
いくつかの習慣的な姿勢と、
基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。
しかし、組織というものが最近の発明であるために、
人はまだこれらのことに優れるに至っていない。

ドラッカーは成果を上げることは習得できるし、
習得しなければならないという。
それどころか一流のプロフェッショナルとなることさえ簡単だという。
自らの強みを知り、得意な方法を知り、
自らにとって価値あるものを知ればよい。
これに加えて、成果を上げるための原則を知ればよい。
何に貢献するべきかを明らかにし、何に集中すべきかを定め、
目線を上げればよい。
あっという間に、町一番、県一番、国一番になれるだろう。

つまりは、いくつかの習慣的な姿勢と、
基礎的な方法を身につければよい。
ありがたいことに、そのようにして卓越性を追求するとき、
仕事の質が一変するだけではなく、自分という人間が大きく成長する。

ドラッカーは、それら身につけるべき姿勢と取るべき行動を、
切れ味鋭い警句によって教える。
『自らの成長のために最も優先すべきは、卓越性の追求である。
そこから充実と自信が生まれる。
能力は、仕事の質を変えるだけではなく
人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味を持つ』

【3分間ドラッカー 上田惇生】

利益は目的や動機ではない。事業を継続・発展させるためのコストである。

Posted on 2015年6月11日

企業人自身が利益について基本的なことを知らない。
そのため彼らが互いに話していることや、
一般に向かって話していることが、企業の本来とるべき行動を妨げ、
一般の理解を妨げる結果となっている。

利益に関して最も基本的な事実は、
そのようなものは存在しないということである。
存在するのはコストだけである。

営利事業という言葉がある。
そのため、事業の目的は利益にあると思う。
加えて、利潤動機という言葉がある。
そのため、事業の動機は利益にあると思ってしまう。
こうして利益が事業の目的であり、
動機であると思ったとたんに、経営者自身の姿勢がおかしくなる。
本業で汗水流すよりも財務的な操作で利益を上げることに魅力を感じる。
同じく、経営幹部の行動もおかしくなる。
こうして、利益至上主義が社内に蔓延する。

ドラッカーは利益は目的ではないし、
動機でもないという。
利益とは企業が事業を継続・発展させていくための条件である。
明日さらに優れた事業を行うためのコスト、それが利益である。

利益がなければコストを賄うことも、
リスクに備えることもできない。
社会が必要とする財・サービスを提供できず、
人を雇用することもできない。

したがって、
利益を上げることが企業にとっての第一の社会的責任である。
利益と社会的責任との間にはいかなる対立も生じない。
真のコストをカバーする利益をあげることこそ、
企業に特有の社会的責任である。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

市場はあくまで非情である。トップマネジメントは社外で働くことを学べ

Posted on 2015年6月5日

一切のものが変化のさなかにあるとき、
部屋で報告を待っていては手遅れになる。
市場にとってはいかなる製品、いかなる企業といえども、
さして重要な存在ではない。
最も価値があり、最も望まれている製品でさえ、
多様な製品、サービス、満足の一つにすぎない。

ドラッカーは、市場はいかなる企業も、
いかなる産業も気にかけないという。
市場は非情であり、最も忠実な者すら解雇手当なしに首を切る。

企業の倒産は、社員、取引先、銀行、労働組合、
地域、国にとって大事件である。だが、市場にはさざ波さえたたない。
誰でも自らが行なうことや作るものは重要である。
当然、企業の人間も、
自らの企業とその製品をあらゆるものの中心において考える。
だが、顧客は、通常それらのものを見てもいない。

トップマネジメントが行なうべきことは、
休暇を取ったセールスマンに代わって外に出ることである。
ドラッカーは、いかに多くを学べるかには驚くべきものがあるという。

いかなる事業にあろうとも、トップマネジメントたる者は、
多くの時間を社外で過ごさなければならない。
それが組織が生き残る唯一の道である。
最初になすべきは、事業の結果が出る外に出かけることを学ぶことである。
外の世界を知るための唯一の方法は、
そこで働くことであって、たんに訪れることではない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

イノベーションに優れた企業は競争相手によってではなく自らの手で自らを陳腐化させる

Posted on 2015年6月2日

ドラッカーはイノベーションを職能の一つと見ることは間違いだという。
イノベーションは、企業のあらゆる部門、職能、活動に及ぶものである。
製造業だけのものでもない。
流通業におけるイノベーションは、
製造業におけるのと同じように重要な役割を果たす。

イノベーションに優れた企業は、仕事と自己規律についていう。
それらの企業は、このプロジェクトを次に見直すべき段階はどこか、
そのときまでにいかなる成果を期待すべきか、
そしてそれはいつなのかを問う。

また優れた企業は、ほぼ三年ごとに、
すべての製品、皇帝、技術、サービス、市場を“裁判”にかける。
今あらためて始めるつもりなのか、
今後その製品やサービスを手掛けるかも問う。

それらの企業は、もはや生産的でないものを
組織的に廃棄する仕組みを持つ。
品質さえよければ、馬車用の鞭の市場がいつまでもあるなどとは考えない。
イノベーションを仕事としてこなしていく。

イノベーションに優れた企業は、
人の作ったものは遅かれ早かれ、
通常は早く陳腐化することを知っている。
競争相手によって陳腐化させられるのを待たずに、
自ら陳腐化させ、廃棄することを選ぶ。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

知識労働者に対して自己実現の機会を与えてこそ組織は忠誠を獲得できる

Posted on 2015年5月29日

あらゆる組織が人を雇用する。
人に対して力を行使する。
組織が人の力なしに目的とする成果を上げられるのであれば、
人に対して力を行使することが許されるはずがない。

組織と従業員との関係は契約上のものであり、
あらゆる契約の中で最も狭義に解釈されるべきものである。
ドラッカーは、両者の関係は、
あえて雇用主と被用者の関係にとどめておくべきだという。
このことは組織と従業員の間に愛情、感謝、
友情、敬意、信頼があってはならないということではない。
いずれも価値のあるものである。
だが、いずれも組織の側が勝ち取るべきものである。

物的な生産手段を所有する者は組織である。
知的な生産手段を所有する者は従業員である。
組織と従業員は互いを必要とする。
一方だけでは生産活動はできない。
しかも、忠誠は報酬だけでは獲得することはできない。
組織は知識労働者たる従業員に対して、
成果と自己実現のための卓越した機会を提供することによってのみ、
忠誠を獲得することができる。

知識労働者は専門家である。
ということは、限定された分野ではあるかもしれないが、
自らの世界については上司よりも詳しいことを意味する。
彼らはいかに地位が低くとも、
自らの専門分野については雇用主よりも優位に立つ。
同じように、現場の目の前のお客さまに対しては
雇用主よりも詳しく、優位に立つ。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

イノベーションの第一歩は陳腐化したものを計画的に捨てることである

Posted on 2015年5月20日

イノベーションは市場に焦点を合わせなければならない。
製品に焦点を合わせたイノベーションは、
新規な技術は生むかもしれないが、成果は失望すべきものになる。

イノベーションは、新しく優れた製品の創造、
あるいは新しい利便性や新しい欲求の創造であることもある。
昔からある製品の新しい用途開発であることもある。

冷蔵庫を食物の凍結防止用として
エキスモーに売り込むことに成功したセールスマンは、
新しい欲求の創造であることもある。
昔からある製品の新しい用途開発であることもある。

イノベーションは、事業のあらゆる局面で行われる。
設計、製品、マーケティングのイノベーションがある。
価格や顧客サービスのイノベーションがある。
組織や手法のイノベーションがある。
また、イノベーションは、あらゆる企業において行われる。
それは、生産や技術の現場におけると同様、
銀行や、保険会社や、小売店において行われる。

市場思考であるがゆえに、イノベーションの戦略は、
既存のものはすべて市場において陳腐化することを前提とする。
したがって、イノベーションの戦略の第一歩は、
古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを
計画的かつ体系的に捨てることである。

イノベーションを行う組織は、
昨日を守るために時間と資源を使わない。
昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を
新しいもののために解放できる。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

これからの20年、30年、仕事を心躍るものにするには目線を上げて自らを駆り立てよ

Posted on 2015年5月13日

自らに刺激を与えるには、仕事を変えることが必要である。
この必要性は、人がますます長生きをするようになり、
ますます長く活動できるようになるにつれて大きくなる。

仕事を変えるといっても、かけ離れたところに移る必要はない。
ドラッカーは、「日常化した毎日が心地よくなったときこそ、
違ったことを行なうよう、自らを駆り立てよ」という。

しかし、たいていの人が、
余裕で仕事をこなせるようになったことをよしとし、
自己満足に陥る。その結果、ある日突然、燃え尽きる。
しかも、気づかぬうちに、燃え尽きてしまう。
たいていの場合、この「燃え尽きる」とは、
仕事に飽きただけのことである。
たいしたことでもないもののために、
毎朝出勤しなければならないことほど、疲れを覚えることはない。
喜びは、仕事とその成果の中になければならない。

ドラッカーは「石臼に向かいながらも、
丘の上を見なければならない」という。
目線を上げる必要がある。
活躍すべき年月は、じつはまだ20年残っている。
いや、30年かもしれない。

問題は、その20年、30年をどうしたいかである。
それを決めるのは自分自身である。
自らの得るべきところを知るのは、自らである。
自らに高い要求を課すのも自らである。
飽きることを自らに許さないよう予防策を講ずるのも、自らである。
仕事を心躍るものにするのも、自らである。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

人は得意な仕事の仕方で成果を上げていく、得意な仕方を向上させよ

Posted on2015年4月29日 

驚くほど多くの人たちが、
仕事にはいろいろな仕方があることを知らない。
そのため得策でない仕方で仕事をし、
当然成果はあがらないという結果に陥っている。

ドラッカーは、生まれつきか育ちかは別として、
仕事上の個性は、仕事に就く前に形成されているという。
人は強みを発揮する仕事で成果を上げるように、
得意な仕事の仕方で成果を上げる。
仕事の仕方について、初めに知っておくべきは、
自分は読む人間か、聞く人間かである。

次に知っておくべきは、得意とする学び方である。
世界中のあらゆる学校が、学び方には唯一の正しい方法があり、
それは誰にとっても同じであるという前提に立っている。間違いである。
仕事の仕方としては、人と組む方がよいのか、
一人のほうがよいのかを知らなければならない。
組んだ方がよいのであれば、
どのように組んだ時に良い仕事ができるのかを知らねばならない。

大きな組織で働く方が仕事ができるのか、
小さな組織のほうが仕事ができるのかも知らなければならない。
自分は意思決定者と補佐役のどちらで成果を上げるのか、という問題もある。
補佐役として最高でありながら、意思決定の重荷に耐えられない人もいる。
これらのことはかなり若いうちに決まる。
今さら自らを変えようとしてはならない。うまくいくわけがない。
自らの得意とする仕事の仕方を向上させていかなければならない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

知識があって、理解力があり、懸命に働くだけでは十分ではない。成果を上げるにはこれらとは違う何かが必要である

Posted on 2015年4月26日

ドラッカーは、仕事において成果を上げるには、
特別の才能や適性は必要ないという。
いくつかの簡単なことを行なうだけでよいという。
そして簡単な習慣を身につければよいという。

第一が、常に貢献を考えることである。
これは簡単なことのように思えて、じつはそうではない。
「業績」という言葉が出てきそうになったら、
そのつど「貢献」と言い替えなさいという。

第二が、常に集中することである。
これも簡単なことに思えるが、そうではない。
集中するには優先順位を決めなければならない。

第三が、目線を高くすることである。何をどうしようとも、
「世のため人のため」という目線の高さがなければ飛躍は無理である。
必ず、欲という落とし穴に落ち込む。

そしてもう一つ。ドラッカーが口を酸っぱくして説くものがある。
成果を上げるための必須の資質は「真摯たること」である。
これなくしては、長期的な成果を望むことは不可能である。

ドラッカーは、成果をあげる者は、
成果を上げる能力を努力して身につけているという。
彼らは、成果を上げることを習慣にしている。
成果を上げるよう努める者は、皆が皆、成果を上げられるようになっている。
成果を上げることは習得できる。そして習得しなければならない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

企業の長期的な成果は短期的な成果の累積にあらず

Posted on 2015年4月16日

企業の経営陣は、
近頃では、利害関係者間の均衡ある利益を実現すべき者とはされていない。
株主の利益のみを最大化すべき者とされるにいたってしまった。

その結果、ドラッカーは、
企業が短期的視点からマネジメントされるようになったと嘆く。
こうして企業が持つ富の増殖能力は傷つけられることになった。
得られたものは、一時的な株価の上昇であり、長期的な成果の低迷だった。

ドラッカーは長期的な成果は短期的な成果の累積ではない、と断言する。
株価を上げ続けることによって、長期の繁栄を得ることはできない。
かつて経営陣とは、ステークホルダー、
すなわち多様な当事者間における均衡ある利益の実現を図るものとされた。
それがステークホルダー説だった。
ドラッカーによれば、じつはこの認識が正しいものだった。

問題は、経営があまりにヘタなところにあった。
そのため株価が低迷し、買収して分解して売却するという乗っ取りが頻発した。
そこで経営陣は、シェアホルダー、
すなわち株主のために働けとするシェアホルダー説が登場した。
しかし、ドラッカーは、会社は株主だけのものであるとする説が
成立したことは一度もないという。

そもそも企業とは、資金の多寡ではなく、
働く者の意欲と献身によって支えられている存在である。
投機家を儲けさせることに意欲をかきたてられる技術者はいない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

ほとんどの企業は本当に重要な数字について知ろうとはしていない

Posted on 2015年4月3日

人口構造の変化と同じように重用でありながら、
経営戦略上ほとんど関心を払われていないものとして、
支出配分の変化がある。
21世紀の初めの数十年は、この支出配分が重要な意味を持つ。

かつては、生活水準の高さを示す数字として、
エンゲル係数なるものが使われた。
消費支出に占める飲食費の割合のことだった。
ドラッカーは経営環境の変化を知るには、
このエンゲル係数に相当するものを見つけよという。
多くの企業が売り上げの増減を気にする。
あるいは市場シェアに気を使う。
こうして、あらゆる企業が自らの成長の度合いを数字で把握しようとする。

それなのに、ほとんどの企業が本当に重要な数字については知らない。
すなわち顧客の全支出のうちで、
自社が提供するカテゴリーの製品と
サービスに向けられているぶんの割合である。

ドラッカーは。支出配分の変化こそ、
企業にとってあらゆる情報の基本だという。
しかも、必要な情報のなかでは、むしろ手に入れやすいものである。
支出配分は。一度落ち着けば、そのまま続く。それはトレンドである。

たとえば、携帯電話にとられてしまったぶんを、
出版業やその他既存の産業が取り返すのは容易なことではない。
ところが、この変化を重視する企業やエコノミストがいない。そ
もそもそのような問題があることを知らない。
支出配分の変化こそ、企業にとってあらゆる情報の基本である。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

65歳定年は誤り、高年齢者パワーをあなどるなかれ

Posted on 2015年3月30日

高年者が働くのは、怠けているよりも働きたいからである。
仲間が欲しいからであり、依存したくないからである。
これらの欲求が、経済的な理由と同じように、
あるいはそれ以上に、彼らの労働市場への参入を促している。

96歳を迎える直前まで活躍していたドラッカーにしてみれば、
65歳の定年退職が間違っていることは当然だった。
定年が65歳に定められたのが、ビスマルク時代のドイツにおいてである。
これが米国に導入されたのが第一次世界大戦で、
今日の平均寿命と高年齢者の健康状態から計算すれば、
当時の65歳は今日の75歳に相当する。
ドラッカーは65歳定年は、
元気な人たちをゴミ箱へ捨てているようなものだという。
彼らの反撃は当然である。
しかも65歳定年は年金制度にとっても耐え難い負担の原因になっている。

しかも彼ら高年齢者は、自らの主張を通すだけのパワーを持ちつつある。
ドラッカーはこの高年齢パワーを「パーマネント・マジョリティ」と呼ぶ。
先進国では彼らの人口は増える一方であり、
選挙での投票率も高い。
定年延長ないし定年廃止は、政治的にも、経済的にも、不可避である。

いまや、年齢による強制退職は差別である。
残された問題は、高年齢者自身が納得する退職基準の構築だけである。
かつては年齢のゆえに退職する者などいなかった。
高齢者そのものがいなかった。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

組織の全員が自ら変化を引き起こすチェンジ・エージェントたれ

Posted on 2015年3月12日

組織が生き残りかつ成功するには、
チェンジ・エージェントすなわち変革の機関とならなければならない。
変化をマネジメントする最善の方法が、
自ら変化をつくりだすことである。

ということは、変化が常態であるこの激動の時代にあって、
生き残るためには、
自ら変化を引き起こさなければならないということである。
自らチェンジ・エージェントたれ、ということである。

ジェットコースターの後部座席に深々と腰を下ろしていたのでは、
恐怖は募るばかりである。
常にスリルを楽しむ心境にあるためには、
最前席で腰を宙に浮かせなければならない。
組織もまた、時代の最先端にあって自ら変化を引き起こすとき、
主役として変化を楽しむことができる。

しかもドラッカーによれば、そのための方法はあるという。
第一に、成功していないものはすべて廃棄していくことである。
第二に、あらゆる製品、サービス、プロセスを“カイゼン”していくことである。
第三に、あらゆる成功を追求して、新たな展開を図っていくことである。
そして、第四に、思考態度を根本から変えることである。

チェンジエージェントたるための要点は、
組織全体の思考態度を変えることである。
全員が、変化を脅威ではなくチャンスとして捉えるようになることである。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

組織の優劣は、平凡な人間をして非凡なことをなさしめるか否かにある

Posted on 2015年3月1日

企業がどれほどのものかは、
次の三つの問いに社員のどれだけが、
何のためらいもなく、
即座にイエスと答えられるかによって知ることができる。

  1. 「あなたは、会社で敬意を払われていますか?」
  2. 「あなたが仕事上の能力をつけようと思って、
    勉強しようと考えたり、自己啓発に励もうとした際に、
    会社は応援してくれますか?」
  3. 「あなたが会社に貢献していることを、会社は知っていますか」

ドラッカーは、企業は人であるとくどいほど説き続けた。
ビジネスモデルにしても、組織構造にしても、
人のエネルギーがあってこそのものである。
だが、そのためには最高の力を発揮してもらい、
最大の貢献をしてもらうための手立てを講じなければならない。

組織の目的は、均衡と調和ではなく、
人のエネルギーの解放と動員にある。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

組織の中にプロフィットセンターはない、すべては顧客のところにある

Posted on 2015年2月20日

およそ企業の内部には、プロフィットセンターはない。
内部にあるのはコストセンターである。
技術、生産、販売、経理のいずれも、
活動があってコストを発生させることは確実である。
しかし成果に貢献するかはわからない。

じつは、プロフィットセンターという言葉をつくったのがドラッカーである。
あらゆる活動を事業として把握することの必要を強調するためだった。
ところが、言葉は独り歩きをする。
プロフィットの源泉が組織の中にあるかのごとき錯覚を持たせてしまった。
こうしてドラッカーは、後年、
「こんな言葉をつくってしまって申し訳ない」
と言わなければならない羽目になった。

組織の中には、利益を生むプロフィットセンターなどはない。
それは組織の外、顧客のところにある。
組織の中にあるのは、コストを発生させるコストセンターである。

あらゆる企業活動がまずコストを発生させる。
プロフィットが発生するのは、顧客が代金を払ってくれたときである。
ところが、現実の企業活動では、仕事の場は組織の外ではなく中だと思う。
プロフィットセンターなる言葉に惑わされて、
多くの人が、組織の中で成果に結びつくことのない仕事に忙殺されている。
成果は、内部にいる者や、企業の支配下にある者によって決まるのではない。
企業の活動が、成果を生むか無駄に終わるかを決定するのは、
企業の外部にいる者である

【3分間ドラッカー 上田惇生】

自由市場といっても無秩序な市場は存在しない。不心得者は淘汰される

Posted on 2015年2月13日

いわゆる自由市場には、どんな種類の制約も存在しないと言われてきた。
政府が企業や個人の経済活動に干渉せず、
市場の働きに任せる状態をレッセフェール(自由放任主義)という。
仏語で「なすがままに任せよ」の意味だ。

だが、ドラッカーは、そのような無秩序な市場が存在したためしはない、
と喝破する。
若いころに英国の金融街・シティで働いた経験を持つドラッカーは、
市場でどのように権力が行使されるか観察していたのだ。

英国金融の権威筋は、市場の代表的な機関、
すなわち証券売買市場、資本調達市場、商品市場、
外国為替市場などを通して、権力を行使していた。
彼らは、市場のヒートアップを危惧しても、
通達の類を出さなかった。抑圧的な規制はルールに反したからだ。

不心得者に対する権威筋の同行は、昼食時の雑談、
電話でのさりげない会話、あるいは取引所や仲買人たちを通じて、
非公式に伝えられた。
このサインは、控えめに二回まで出される。
そして、ある日突然、裏書が拒否される。
それまで、不心得者が市場と関係していたことで得られた権利は、
すべて取り上げられたという。

市場には、常に市場自体の規制や権威が存在した。
この経済的な領域における支配もまた、
政治的な領域における政治的権力と同様、その権力を実際に行使した。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

社員流動化時代に「人が宝」をお題目にしない

Posted on 2015年1月31日

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あらゆる組織が、「人が宝」という。
ところが、それを行動で示している組織はほとんどない。
本気でそう考えている組織はさらにない。
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ほとんどの組織が無意識にではあろうが、
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19世紀の雇用主と同じように、
組織が社員を必要としている以上に
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社員が組織を必要としていると信じ込んでいる
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きわめて興味深く、かつ、きわめて意味深長なことに、
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ドラッカーはこの名言において、
主語を経営者ではなく、組織にしている。
あらゆる組織が、「人が宝」と言っているということは、
部長も課長もそう言っているということである。

ありがたいことに、それはほとんどの組織において、常識になっている。
ところが、とドラッカーは続ける。
「それを行動で示している組織はほとんどない」
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問題の根は深いのである。
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今までは、「社員は宝」とのお題目ですんだ。
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だが、これからはそうはいかない。
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人類誕生以来初めての、最大の革命が始まろうとしている。
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いやなら辞めていける時代がきた。特に、仕事ができて覇気のある人が。

事実上、すでに組織は、製品やサービスについてと同じように、
組織への勧誘についてのマーケティングを行わなければならなくなっている。
組織は人を惹きつけ、引き止められなければならない。
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彼らを認め、報い、動機づけられなければならない。
彼らに仕え、満足させられなければならない。
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【3分間ドラッカー 上田惇生】

組織が存在するのは、組織自身のためではない。企業をはじめとするあらゆる組織が、社会の一機関である

Posted on 2015年1月27日

組織は、社会、コミュニティ、個人のニーズを満たすものである。
それができずして、人に命令したり、資源を使ったり、
社会の空間を占有することができるはずがない。
社会のニーズに頓着しないでいられる組織は、
崇高な宗教団体や利己的なギャング団ぐらいなものである。

その証拠に、役に立たなくなった企業や特殊法人がつぶれても、
当事者以外は、誰も残念には思わないものである。
あまりに当たり前すぎて、拍子抜けがするくらいである。

つまり組織は、世のため人のためのものなのだ。
世のため人のためにあるとき、組織は繁栄する。
逆に自分自身のためとなったとき、
あっという間に左前、転落の一途をたどる。
転落しないためには、自分たちの組織が、
社会、コミュニテイ、個人のどういったニーズに応えているのか、
常に関心を払うことが大事だ。

したがって、自分たちは何のために存在するのか、
何のために活動するのかを考えることなくして、経営はない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】

「変な客こそ、本命」予期せぬ成功がイノベーションにつながる

Posted on 2015年1月4日

予期せぬ成功ほどイノベーションの機会となるものはない。
だが、予期せぬ成功はほとんど無視される。
困ったことには存在さえ否定される。

経営者にはビジョンがある。
夢もある。技術もあれば、ノウハウもある。
そして無事、新製品、新サービスを世に出す。
当然買いに来てくれる人をイメージしている。
そこへ想定外の客が現れる。腹が立つ。

しかし、ドラッカーは「変な客が来たら、それが本命の客だ」という。
予期せぬ客というカモがネギならぬイノベーションを
背負ってやってきたのだという。
手厚くもてなさなくてはならない。

ドラッカーの調べたところでは、
成功したイノベーションの中で最も多いケースが、
この予期せぬ成功であった。

初めコンピューターは科学計算用として開発された。
そこへ事務用として需要が見つかった。
事務用の購入先である企業を真っ先に捉えたのがIBMだった。
当時技術的にIBMに先行していたユニバックは、
企業という予期せぬ客のニーズに応えようとしなかった。
精緻な芸術品たるメインフレーム・コンピュータは、
給与計算などという俗なもののために開発したのではなかった。

マネジメントにとって、予期せぬ成功を認めることは容易ではない。
勇気がいる。同時に現実を直視する姿勢と、
間違っていたと率直に認めるだけの謙虚さがなければならない。

【3分間ドラッカー 上田惇生】