Posted on 2013年12月28日
ドラッカーは、組織自らがチェンジエージェントへと
変身するための方策を4つ挙げている。
第1に、成功していないものはすべて組織的に廃棄しなければならない。
第2に、あらゆる製品、サービス、プロセスを
組織的かつ継続的に改善していかなければならない。
第3に、あらゆる成功、特に予期せぬ成功、
計画外の成功を追求していかなければならない。
第4に、体系的に仕組みとしてイノベーションを
行っていかなければならない。
チェンジエージェントたるための要点は、
組織全体の姿勢を変えることである。
全員が変化を脅威ではなく、チャンスとしてとらえるようになることである。
今日のような乱気流の時代にあっては、変化が常態である。
変化は、リスクに満ち、楽ではない。
悪戦苦闘を強いられる。
だが変化の先頭に立たない限り、企業、大学、病院のいずれにせよ、
生き残ることはできない。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年12月22日
リスクには4つの種類がある。
「負うべきリスク」、すなわち事業の本質に付随するリスク、
「負えるリスク」、
「負えないリスク」、
「負わないことによるリスク」である。
ほとんどあらゆる産業に負うべきリスクがある。
新薬には人体を傷つけるリスクがある。
しかし、なおかつ製薬に携わるには負うべきリスクである。
多少の資金と労力を失うリスクは、負えるリスクである。
失ったならば存続できないほど資金がかかるのであれば、
それは負えないリスクである。
事業に着手するに当たっては、成功を利用できるか、
もたらされる機会を実現できるか、
それとも誰かのために機会をつくるだけかを問わなければならない。
負わないことによるリスクの典型は、革新的な機会に伴うものである。
その古典的な例が、第二次大戦後のGEの原子力発電への進出である。
専門家は原子力を経済的な電力源にできる可能性は低いと見ていた。
しかしGEは発電機メーカーとして、
万が一にも取り残されるというリスクを負うわけにはいかなかった。
リスクの有無を行動の基盤にしてはいけない。
リスクは行動に対する制約にすぎない。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年12月15日
有能な人材は不況時でさえ、挑戦や機会がなく、
何事かを達成できないところにはとどまらない。
仕事の内容を大きくし、挑戦しがいのあるものにしなければならない。
ところがわれわれは相も変わらず、カネがすべてと思っている。
そのため、カネを持っている者が主人であるとの考えに固執する。
しかも一流の人材を、
月給やボーナスやストックオプションによってつなぎとめようとする。
それでは彼らをとどまらせることも、フルに力を発揮させることも不可能である。
知識労働者をカネで懐柔することはできない。
知識を基盤とする産業の場合、
その成否はどこまでも知識労働者を惹きつけ、
とどまらせ、やる気を起こさせるかにかかっている。
どこまで価値観を満足させ、位置づけを与えることができるかが鍵である。
ドラッカーは、そのためには彼らを部下ではなく同僚として、
高級の社員ではなくパートナーとして遇さなければならないとまで言う。
フルタイムの従業員をボランティアのようにマネジメントしなければならない。
彼らには組織を移る力がある。
実際に辞めることができる。
彼らは知識という生産手段を持っている。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年12月9日
自らの事業は何かとの問いに答えるほど、
簡単で分かりきったことはないかに思われる。
だが、この問いに答えることは常に難しく、
思考と検討なくしてできることではない。
事業は何かとの問いに対する答えは、事業の外部、
すなわち顧客や市場の観点から事業を見ることによってのみ得られる。
企業が社会の機関である以上、事業の目的は社会に求めなければならない。
事業の目的として有効な定義はただ一つである。
顧客を創造することである。
顧客は神や自然や経済的な力によって創造されるのではない。
事業家によって創造される。
事業家の行為が欲求を有効需要に変えたとき、
初めて顧客が生まれ、市場が生まれる。
企業が自ら生み出していると考えるものが重要なのではない。
企業の将来や成功にとって、それらのものは重要ではない。
顧客が買っていると考えるもの、価値とするものが決定的に重要である。
それらのものこそ、事業が何であり、何を生み出すかを規定し、
事業が成功するか否かを決定する。
顧客が事業の土台であり、事業の存在を支える。
顧客だけが雇用を創出する。社会が企業に資源を託しているのは、
顧客に財やサービスを供給させるためである。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年12月2日
あらゆる変化が、他の領域に変化をもたらす。
そして機会をもたらす。
人口、社会、政治、経済、産業、経営、文化、知識、意識が変化する。
その変化が次の変化をもたらす。
ただちにではない。
そこには、タイムラグがある。
そこでドラッカーは、それらの変化を「すでに起こった未来」と呼ぶ。
すでに起こった未来に資源を投じることにも、不確実性とリスクが伴う。
だがそのリスクは限られている。
特に人口構造の変化は、労働力、市場、社会的圧力、
経済的機会に基本的な変化をもたらす。
人口の変化は逆転しにくい。
その変化は早く影響を現す。
小学校の施設に対する圧力となって現れるのは、わずか5~6年後である。
20年後、25年後には労働力人口に重大な影響をもたらす。
市場を変え、経済と社会を変える。
変化はすでに起こってしまった。
意識の変化も、経済や社会を変える。
健康への関心が高まれば、
やがてサプリメント会社の起業家が長者番付を飾るのは当然である。
組織の内部にもすでに起こった未来を見つけることができる。
新しい活動が組織内に変化を引き起こし、
すでに受け入れられているものと対立する。
知らずして急所に触る。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年11月24日
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知識の活動と業績とは、企業であれば優れた製品を出すことであり、
病院であれば優れた医療を提供することである。
そのために知識労働者は意思決定をしなければならない。
自らの貢献について責任を負わなければならない。
自らが責任を負う者については、
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他の誰よりも適切に仕事をしなければならない。
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現代社会では、すべての者がエグゼクティブであるとドラッカーはいう。
仕事の目標、基準、貢献は自らの手にある。
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したがって、物事をなすべき者は皆、エグゼクティブでなければならない。
知識による権威は、地位による権威と同じように正当かつ必然のものである。
彼らの決定は、本質的にトップの決定と変わらない。
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研究者ならばプロジェクトを続行するか中止するかを決めることによって、
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販売部門の経営管理者ならば
最高のセールスマンにどの地域を担当させるかを決めることによって、
企業としての意思決定を行っている。
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もし企業が起業家活動の中心であるとするならば、
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そこで働く知識労働者はすべて起業家として行動しなければならない。
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知識が中心的な資源になっている今日においては、
トップマネジメントだけで成功をもたらすことはできない。
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【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年11月18日
行動のためのプログラムにおいて重要なことは、
資源の割り当て、特に人員配置の意思決定である。
ドラッカーは、最高の機会には最高の人材を、
最高の人材には最高の機会を割り当てよという。
大きな機会に対して割り当てるべき人的資源がない場合には、
なんとしてもそれを手に入れなければならない。
最高の人材抜きに大きな機会を利用しようとしてはならない。
徒労に終わるだけである。
したがって、大きな機会以外のもの、たとえば問題整理に最高の人的資源を割り
当ててしまってはならない。人材はあまりに貴重である。
しかし、人材の配置には苦痛が伴う。
そこでドラッカーがいうところの「強制選択」が必要となる。
大きな機会をリストアップし、順位を付ける。
これが最初の強制選択である。
あいまいさぬきに断固として、順位を付けなければならない。
次に人材に順位を付ける。無理やりにでも順位を付ける。
強制選択と呼ぶゆえんである。
そして、第一順位の機会が必要とするだけの数の人材を、
第一順位の人的資源から割り当てる。
その後、第二順位の機会に対して同じことをおこなう。
人員配置は致命的に重要な意思決定である。
人員配置の決定が、成果のためのプログラムを持つことになるか、
紙屑にすぎないプログラムを持つことになるかを決める。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年11月10日
ベンチャーに取り組むのであれば、
製品やサービスの意味を決めるのは顧客であって
自分ではないことを思い起こす仕組みをつくらなければならない。
ベンチャーにはアイデアがある。製品やサービスがある。
コストは確かにある。そして収入があり、利益がある。
だが、失敗するベンチャーには事業がない。
ドラッカーは、事業とは顧客の創造だという。
予期せぬ市場を利用するよう、自らを組織しておかなければならい。
市場志向、市場中心でなければ、競争相手のために働いただけに終わる。
予期せぬ市場からの予期せぬ反応が、
本物か好奇心にすぎないかを見分けるのに、
さしたるコストはかからない。
わずかの感受性と作業が必要なだけである。
外へ出て、見ればよい。市場に出て、顧客やセールスマンと過ごせばよい。
最大の危険は、製品やサービスが何であり、いかに買われ、
何のために使われるかについて、顧客以上に知っていると思い込むことである。
いかにアイデアがすばらしくとも、いかに資金を集めようとも、
いかに製品が優れていようとも、客が現れなければ話にならない。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年11月5日
あらゆる先進国が100年以上前から従業員社会と組織社会に向かってきた。
この流れが方向を変えた。
働く者と組織の関係、そして組織と組織との関係において、
急速にネットワーク社会に向かいつつある。
高学歴者のほとんどが組織で働く。
しかしその多くは、現在働いている組織の従業員ではない。
アウトソーシング先の社員であり、派遣社員であり、パートタイマーである。
組織と組織の関係も変わりつつある。
誰の手にも主導権がない対等の提携関係、
すなわちパートナーシップが増大している。
良い例が、アウトソーシングである。
ますます多くの企業、病院、政府機関が、
仕事をまるごと専門企業に委託している。
まもなくほとんどの企業が、
自らにとって主たる収益源でない支援的な業務、
トップマネジメントへの道になっていない業務のすべてを
アウトソーシングするようになる。
アウトソーシングの受託者であれ、共同研究、技術提携、
合弁事業の相手方であれ、パートナーシップに対して命令はできない。
信頼を得ることしかできない。
正しい問いは、彼らは何をしたいか、彼らの目的は何か、
彼らの価値は何か、彼らのスタイルは何か、でなければならない。
ここでもまた、必要とされているものがマーケティングの考え方である。
マーケティングでは、製品ではなく顧客からスタートする。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年10月28日
重要なことは、
意見の不一致が存在しないときには決定を行わないことである。
ドラッカーによれば、
GMを築いたスローンは「この決定に関しては、
意見が完全に一致していると了解してよろしいか」と聞き、
みんなが「そうだ」という時には、
「それでは問題を理解するための時間が必要と思われるので、
いつものように次回さらに検討することにしたい」と言ったという。
意見の不一致が必要な理由は3つある。
第一に、組織の囚人になるのを防ぐためである。
組織ではあらゆる者が決定から何かを得ようとする。
特別のものを欲し、都合のよい決定をしてもらおうとする。
第二に、複数の選択肢を得るためである。
決定には「間違う」という危険が伴う。
最初から間違っていることもあれば、
状況の変化によって間違いになることもある。
決定のプロセスにおいえ他の選択肢を考えてあれば、
次に頼るべきものとして、
十分に考えたもの、検討済みのもの、
理解済みのものを持つことができる。
第三に、想像力を刺激するためである。
反対意見、特に検討し尽くされ、
かつ裏付けのある反対意見こそ、
想像力にとって最も効果的な刺激剤である。
選択肢すべてについて検討を加えなければ、視野は閉ざされたままになる。
成果をあげるには教科書にいう意見の一致ではなく、
意見の不一致を生み出さなければならない。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年10月21日
マネジメントは発生学的には、小さな事業のオーナーが、
一人では果たせなくなった仕事を助手たちに代理させることから生まれる。
そして事業の成長、すなわち量的な変化が、
マネジメントチームを必要とするようになる。
そこにもたらされる変化は、質的な変化である。
複数の人間が協力して、
多様な課題を同時に遂行する必要が生じたとき、
組織はマネジメントチームを必要とする。
マネジメントチームを欠くとき、
組織は管理不能となり、計画は実行に移されなくなる。
製品が優れ、従業員が有能かつ献身的であっても、
またボスが権力と魅力を兼ね備えていても、
組織はマネジメントチームという骨格を持つように変身しない限り、
失敗を重ね、停滞し、坂を下る。
マネジメントの仕事はあまりに多く、あまりに複雑であり、
たとえ中小の組織であっても、
一人の人間が助手を使ってこなすことはできない。
経営書や組織論が何と言おうと、
優れたマネジメントをおこなっている企業にワンマン社長はいない。
それらの企業は、チームとしてのCEOをもっている
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年10月15日
学ぶ力は、加齢によって低下しないことが明らかになっている。
しかし人は学べば学ぶほど、学んだことを捨てられなくなる。
したがって学ぶ能力とともに、
学んだことを捨てる能力を身につけなければならない。
人は変化に抵抗するとの産業心理学者の説は間違いだとドラッカーは言う。
人ほど新しいものに貪欲な存在はない。
しかし、変化を生み、変化を受け入れるには、
捨てる能力を身につけておく必要がある。
加えて、いくつかの条件が必要である。
変化を合理的なものと受け取れること、
進歩であると理解できること、
安定を強化するものと思えることが必要である。
そもそも人は、脆弱にして制約された、はかない存在である。
安定が約束されなければ、イノベーションもカイゼンも行われない。
身の安定を危ぶんでしまう。
ここにおいてドラッカーは、終身雇用が果たしてきた役割を高く評価する。
変化と安定が求めてきたのは両社の調和であった。
働く者に対し、変化を要求するのであれば、
何よりも彼らが変化できるようにしなければならない
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年10月6日
組織は多角化していないほどマネジメントしやすい。単純であれば明快である。
全員が自らの仕事を理解し、自らの仕事と全体の業績との関係を知り得る。
そして活動を集中できる。
ところが長い間、多角化しさえすれば業績が上がると信じられてきた。
「うまくいかなくなりそうなものは、いずれうまくいかなくなる」という
「マーフィの法則」がある。
だが、事態が複雑な場合には、加えて「ドラッカーの法則」と呼ぶべきものが働く。
「なにかがうまくいかなくなると、すべてがうまくいかなくなる。しかも同時に」
トップが事業の現実、経営環境、顧客、技術を自らの目で見て、知り、理解する
ことができなくなり、報告、数字、データなど抽象的なものに頼るようになった
とき、組織は複雑になり過ぎ、マネジメントできなくなったと見てよい。
それでは、多角化への信奉を説明するものは何か。
じつは最高の業績の企業が単一市場や単一技術の企業であったと同様に、
最悪の業績の企業もまた、単一市場や単一技術の企業だったのである。
多角化には適切なものと不適切なものがある。
適切な多角化は、
適切な事業に特化した単一市場や単一技術の企業に並ぶ業績をもたらす。
不適切な多角化は、
不適切な事業に特化した単一市場や単一技術の企業並みの業績しかもたらさない。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年9月27日
この問いに対する、決まりきった答えは
「正当な一日の報酬に対する正当な一日の労働」である。
しかし、報酬と労働のいずれについても、正当とは何かは定義しえない。
それ以上に問題なのは、この言葉が働く者に少ししか要求せず、
しかも間違ったものを要求していることにあるとドラッカーはいう。
要求すべきは組織全体の目標への貢献である。
働く者から何かを得ようとするならば、
正当な労働よりもはるかに多くを求めなければならない。
正当さを超えた貢献を求めなければならない。
従順さなど求めてはならない。
逆に、攻撃的な文化を生み出すことを求めなければならない。
要求されるものが大きいほど、人は多くを成し遂げる。
要求が大きいほど、人は多くを生み出す。
それが、人間という存在の特性である。
しかも人は、誇れるものがあってのみ、誇りを持つ。
何かを達成したときのみ、達成感を持つ。
仕事が重要なときにのみ、自らを重要と感じる。
高い水準を要求することほど、仕事の改善に挑戦させるうえで効果的なものはない。
仕事と自己実現の誇りをもたらすものはない。
絶えざる努力によってのみ実現される最高水準の仕事に焦点を合わせるとき、
動機づけが行なわれる。
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年9月17日
人員過剰と組織構造の欠陥から、時間という希少な資源が浪費されている。
ドラッカーは、組織の上のほうの人たちが、時間のある程度以上、
たとえば1割以上を、分担、協力、調整、摩擦、反目
にかかわる問題に取られるようになったならば、
人が多すぎることが確実であるという。
互いが互いに仕事の邪魔をしているからである。
スマートな組織では、衝突することなく動く余地がある。
始終説明しなくとも自分の仕事ができる。
人員過剰に加えて、組織構造の欠陥からくる時間の浪費もある。
典型的な兆候が会議の過剰である。
会議は、組織構造の欠陥を補完するためのものである。
人は、仕事をしながら会議に出ることはできない。同時に両方はできない。
ゆえに会議は原則ではなく、例外にしなければならない。
年中会議をしている組織は、何事もなしえない組織である。
もし時間の4分の1以上を会議に費やしているという会議過多症が判明すれば、
組織構造に欠陥があるとみて良い。
「理想的に設計された組織とは、会議のない組織である。
誰もが、仕事をするために知るべきことを知っている。
みんなが、仕事をするために必要なものを手にしている」
【3分間ドラッカー上田淳生】
Posted on 2013年9月9日
大きな組織のほうが仕事ができるか、小さな組織のほうができるかはわからない。
人と一緒に仕事をする方がよいか、ひとりのほうがよいか。
不安定な状況の方がよいか、その逆か。
時間の重圧があったほうがよいか、ないほうがよいか。
迅速に決定するほうか、しばらく寝かせないとだめなほうか。
われわれは気質や個性を軽んじがちである。
だがドラッカーは、
気質や個性は訓練によって容易に変えられるものではないだけに、
重視し、明確に理解することが必要だという。
得るべきところはどこかを考えた結果が、
今働いているところではないということであるならば、
次に問うべきは、それはなぜかである。
組織の価値観になじめないからか、
組織が脱落しているからか。もしそうであるならば、
人は確実にダメになる。
自らが価値ありとするところで働くのでなければ、
人は自らを疑い、自らを軽く見るようになる。
「自らが所を得ていないとき、あるいは組織が腐っているときには、
辞めることが正しい選択である。出世はたいした問題ではない」
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2013年9月3日
まず行うべきは、何を捨てるかを決めることである。
どこで成長したいかを決めることではない。
成長戦略の基本は、
機会に備えて資源を自由にしておくことだと、ドラッカーは言う。
そのためには、見返りが急速に減少しつつある製品、
サービス、市場、技術から、資源を引き揚げなければならない。
したがって、2~3年ごとに
「この製品を生産していなかったとして、
あるいはこのサービスを行っていなかったとして、
今われわれが知っていることを知っているとして、それを今から始めるか」
を問う必要がある。
成長は、機会を利用することからもたらされる。
特に貴重な資源である有能な人材が、昨日の仕事の若干の延命、
陳腐化したものの防戦、失敗したもののアリバイ作りに投入されていたのでは、
機会を利用することは不可能だ。
IBM、ゼロックス、GEなど優れた企業の成長戦略は、
今日最も成功している製品は明日には最も早く陳腐化する、
との前提からスタートしている。
成長のための戦略は機会あるところに的を絞らなければならない。
自らの強みが、異常なほどに大きな成果を生む分野に集中しなければならい。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年8月26日
ドッカーは、顧客であっておかしくないにもかかわらず、
顧客になっていない人たちを「ノンカスタマー」と呼ぶ。
じつは彼らこそ、きたるべき変化を知らせてくれる貴重な情報源である。
産業の変化を調べるならば、
そのほとんどが既存の市場、製品、技術の外で起こっている。したがって、
革新の原因は外の世界で起こっていることを知らなければならない。
たとえば女性の社会進出の急速な進行を見過ごしていたデパートがその典型だ。
昼働く彼女たちは、デパートで買物ができなかった。
当然デパートは彼女たちの情報を持たなかった。
そのうえデパートは、なぜだかこの新しく登場した消費者層、
しかも時代の最先端を行く豊かな世代が来店していないことに無関心だった。
ところが1980年代も終わり近く、
このノンカスタマーが流行や買物の形態を左右する存在になった。
だが手遅れだった。
こうしてデパートは、ますます数の少なくなる自らの顧客についてのみ、
ますます多くの情報を手にするようになった。
あらゆる組織にとってもっとも重要な情報は、
顧客ではなくノンカスタマーについてのものである。
変化が起こるのは、ノンカスタマーの世界においてである。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年8月19日
今日の事業すなわち今日の資源、活動、組織、製品、市場、顧客は
すべて昨日の決定と行動の結果である。
加えて、ほとんどの人間が昨日の事業とともに育っている。
彼らの姿勢、期待、価値観は昨日つくられた。
したがって彼らは、昨日の教訓を今日使おうとする。
事実、あらゆる企業が昨日起こっていたことを正常とし、
そのパターンに当てはまらないものを異常として退けている。
賢明かつ前向きで勇気のあった決定や行動も、
それらが日常の仕事となった頃には陳腐化している。
それらが形成されたときには正しかったことかもしれない。
だが、その姿勢を身につけたものが意思決定する立場に昇進したころには、
その姿勢を形成した世界はもはや存在しない。
既存のものは常に古くなる。
あらゆる決定と行動が、それを行った瞬間から古くなり始める。
したがって通常の状態に戻そうとすることは不毛である。
通常とは昨日の現実にすぎない。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年8月13日
イノベーションの機会は、現場で、あるいは現場に近いところで見出される。
それは、いわゆる「計画屋」が対象とする膨大な総体ではなく、
逸脱したものの中に見出されるという。
予期せぬ成功や失敗、ギャップ、ニーズ、認識の変化の中に見出される。
それら逸脱したものが、計画屋の目にとまるようになってからでは、もう遅い。
イノベーションを行う者は、
見聞きしたものを論理的かつ詳細に分析する必要がある。
知覚するだけでは不足である。
知覚というものが単に感じることだけを意味するのであれば、
イノベーションにおいて知覚は全く役に立たない。
見えるものでなく、見たいものを見るにすぎないからである。
とはいえ、実験と評価を伴う緻密な分析といえども、
その基礎となるのは、あくまでも変化、機会、現実に対する知覚である。
したがって、イノベーションを行うには、
外に出かけ、見て、触って、聞く行為をしなければならない。
イノベーションの機会は暴風雨のようにではなく、そよ風のように来て去る。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年8月9日
ドラッカーは人の手によるものに絶対のものはないとする。
したがって永遠なるものもないとする。
あらゆるものがやがて陳腐化する。そして進歩する。
それが文明というものである。
だからあらゆるものにイノベーションと起業家精神が必要となる。
しかも常時必要となる。
イノベーションと起業家精神が力を発揮するのは、
それが全国一律でなく、この製品、この政策、この社会的サービスというように、
個別かつ段階的に行われるからである。
暫定的であって、期待した成果、必要な成果をもたらさなければ、
変えたりやめたり、抵抗されるからだ。
言い換えれば、教条的でなく現実的であり、
壮大でなく着実だからである。
たとえ大勢の優れた人たちが年月かけて作り上げたものであっても、
見直しと組み建て直しは常に必要であるという。
今のわが国でいうならば、構造改革とその着実な実現である。
われわれが必要としているものは、
イノベーションと起業家精神が当たり前のものとして存在し、
継続していく起業家社会である。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年8月5日
人を動機づけ、献身と力を引き出すもの、
最善を尽くさせるものが、組織の文化である。
優れた組織の文化は、仕事本位である。
あくまでも人の強みに焦点を合わせる。
一人ひとりの人間の卓越性を完全に発揮させる。
卓越性を見出し、認め、助け、報いる。
そして他の者の仕事に貢献するよう導く。
優れた文化は、できないことではなく、できることに焦点を合わせる。
それは組織全体の能力と仕事ぶりの絶えざる向上をもたらす。
昨日の優れた仕事を今日の当然の仕事に変え、
組織は強化されていく。組織の文化とは仲良くやっていくことではない。
大切なのは仲の良さではなく、仕事ぶりの良さである。
ドラッカーは仕事から得られる満足に基づかない人間関係は
人間関係として貧しいだけでなく組織の文化としても貧しいという。
人を成長させるどころか萎縮させるという。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年7月31日
顧客となるものから、「プロたる者は知りながら害をなすことない」
と信じてもらえなければならない。
これを信じられなければ何も信じられない。
企業倫理なるものが企業に特別に課されているかについては、
大いに議論がある。企業の社会的責任なるものが、
本業のほかに何を含むかについても、大いに議論がある。
しかし、プロたる者は知りつつ害をなすことはないと
確信できなければ世の中が成立しないという。
ウィルス入りということを知りつつ医師に血清を投与されたり、
食品メーカーが食品製造機にカビを生やしていたのではたまらないからだ。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年7月29日
ここにいう組織とは、企業、政府機関、非営利組織など、
特定の目的を持つ人間集団を指す。
これらは、家族、親族、地域、共同体など、
絆そのものに価値を持つ人間集団と異なり、目的は組織の外にある。
組織の外である社会に対し価値ある成果をもたらすがゆえに、
社会の資源を委ねられているにすぎない。
その組織を動かすものがマネジメントである。
ドラッカーはマネジメントには組織を社会に貢献させるうえで、
基本とすべき3つの役割があるという。
第一に自らの組織に特有の使命を果たすことである。
第二に仕事を通じて働く人を生かすことである。
現代社会においては、組織が、生計の源、社会的な地位、
コミュニティとの絆、自己実現を手にする手段である。
第三に自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、
社会の問題の解決に貢献することである。
決して、組織の目的は利益の追及ではないのだ。
最近目にする組織の不行状、不祥事の多くが、
これらの基本を忘れたことに起因しているかは明白である。
【3分間ドラッカー上田惇生】
Posted on 2013年7月24日
意見の対立を促がすには理由がある。
一見もっともらしいが間違っている案や不完全な案にだまされなくするためである。
頭脳と感性を刺激し、すばらしい案を生み出すためである。
常に代案を手にするためでもある。
行った意思決定が実行の段階で間違いであることや、
不完全であることが明らかになったとき、途方にくれたりしないためである。
そもそも戦略にかかわる問題については、
ある案だけが正しく、ほかの案は間違っているなどと考えてはいけない。
そのようなことはありえないとすべきである。
もちろん自分が正しく、他人が間違っていると考えてもならない。
なぜ意見が違うのかを常に考えなければならない。
明らかに間違った結論に達している者がいても、
それは何か自分と違う現実を見、
自分と違う問題に関心をもっているからに違いないと考えなければならない。
【3分間ドラッカー 上田惇生】
Posted on 2013年7月22日
マネジメントの高い地位に外部から人を招くことが必要である。
そして招き入れたからには
内部から昇進してきた者と同じ待遇を与えることが必要である。
しかも、そのことを組織中が理解し、
当然のこととして納得していなければならないという。
ドラッカーは典型的な例として
ヘンリーフォードのワンマン経営のあとの歴史を紹介する。
フォードの再建にはライバルのGMからさえ、
トップマネジメントの人材を引き抜かざるを得なかった。
外には内よりも優れた人材がいるということではない。
外にいたということが重要な意味を持つのである。
日産自動車はルノーからの資金を必要とした。
しかし、今になってみれば、本当に必要としたのは、
カルロス・ゴーンという外からの血だったことがわかる。
危機においてだけでなく、常時外部の人間を招き入れることによって、
危機を予知しなければならない。そして、危機を避けなければならない。
【3分間ドラッカー 上田惇生】
Posted on 2013年7月17日
自社のことは自社ではわからない。特に強みはわからない。
ところが、いかに恵まれた市場環境にあって、
いかに強い使命感に燃えても、自らの強みを知らなければ、
卓越した事業によって業界リーダーの地位を得ることはできない。
しかも企業をはじめとする組織体の強みに公式はない。
いかなる強みがいかに獲得されるかはわからない。
学者が解き明かしてくれるのを待っているわけにもいかない。
自社の強みは一日も早く見つけてどんどん伸ばし、
フルに発揮していかなければならない。
そこで自社の強みを知るための工夫が必要となる。
公式がないとするならば、観察するしかない。そして聞くしかない。
比較の対象は他社とは限らない。自社の成功と失敗を比較しなければならない。
そしてその違いの原因を考えなければならない。
さらには、自社を最もよく知る者に辞を低くして聞かなければならない。
上得意の顧客に対し、
わが社は他社にできないどのような仕事をしているかを聞かなければならない。
顧客が常に答えを知っているわけではない。
しかし、どこに正しい答えを見つけたらいいかは明らかにしてくれる。
【3分間ドラッカー 上田惇生】
Posted on 2013年7月11日
複雑な世界にあって、見えない未来に向けて、ヒトとモノとカネを投入する。
そして、投入したものをはるかに超えるものを得る。
それが企業の成長であり、社会の繁栄である。そこにリスクが伴うのは当然である。
分かりきったものからは、わかりきったものしか手に入れられない。
ドラッカーが気にするのは、この当然のことに対する無知や無理解ではない。
それ以前の問題として、頭もよく知識も豊かな人たちが、
リスクについて持っている考え方である。
リスク抜きを是とするメンタリティである。
その意味は世界からリスクを取り除くことはできるし、
取り除かなければならないとする考えである。
そうではなくドラッカーがいうのはリスクを無くすのではなく、
より大きなリスクを負えるようにするということなのである。
経済活動において最大のリスクは、リスクを冒さないことである。
そしてそれ以上に、リスクを冒せなくなることである。
【3分間ドラッカー 上田惇生】