Posted on 2014年3月31日
工場の目的は、騒音を出し、有害なガスを出すことではない。
顧客のために高性能の製品をつくることである。
そのために騒音を出し、熱を出し、煙を出す。
これら社会に及ぼす影響は、組織の目的に付随して起こる。
かかる副産物はゼロとすることが理想である。
他方、組織は社会環境の中に存する。
それは社会の一機関であることを意味する。
したがって社会自体の問題の影響を受けざるを得ない。
健全な企業、健全な大学、健全な病院は、不健全な社会では機能しえない。
あらゆる組織が、自らの本業を傷つけない限りにおいて、
それら社会の問題の解決に貢献しなければならない。
社会や経済はいかなる企業をも一夜にして消滅させるとドラッカーは言う。
企業は社会や経済の許しがあって存在しているのであり、
社会と経済がその企業は有用かつ生産的な仕事をしていると
見なす限りにおいて、その存在を許されているにすぎない。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年3月24日
ドラッカーはとんでもないことを言う。しかも確信をもって言う。
しかし、続けて彼はこうも言う。
この壮大な転換期において社会の安定を確実なものにするには、
既存の組織が生き残り、繁栄してくれなければならない。
そのための術を学ぶ必要があるという。
そのためには、
あらゆる者が起業家として成功するための方法を学ばなければならない。
知識が中心の社会になったというだけで、
学習が一生続けるべきものとなった。
そこへ起業家精神まで日常のものとしなければならなくなったのである。
ここ数年、各地にドラッカーに学ぶ会が生まれているのも、
このような問題意識が一般化したためであろう。
ドラッカー逝去の8日後、
96歳の誕生日となるはずだった11月19日、
彼自身も楽しみにしていた全国レベルの勉強会ドラッカー学会が設立された
今日無名の企業の多くが、
今日行っているイノベーションによって明日リーダー的な地位を得る。
逆に今日成功している企業の多くが、
一世代前のイノベーションの成果を食いつぶしながら安逸を貪っている。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年3月16日
通常、知識労働者は経済的な問題は抱えていない。
雇用は安定し、かつ、その知識ゆえに転職の自由まである。
しかし、彼らの欲求と価値観は、
組織における仕事と知識を通して満足させられなければならない。
知識労働者の多くは専門家として見られ、彼ら自身もそう思っている。
しかし、彼らは雇われの身であり、命令を受ける身である。
しかもそれぞれの専門分野に属しながら、
その知識からくるところの権威を組織の目的に従属させなければならない。
専門知識においては上司も部下もないが、組織には階層がある。
知識労働者にとっては、最近はやりの言葉で言うところの
自己疎外、倦怠、フラストレーション、諦観が問題である。
成果に向けた自己啓発こそが、手にしうる唯一の答えだとドラッカーは言う。
しかもそれが組織の目標と個人の欲求を合致させる唯一の方法だという。
知識労働者は機会、達成、自己実現、価値を必要とする。
自分自身を「成果をあげる者」に成長させることによってのみ、
自己満足を得ることができる。
「成果をあげる能力」によってのみ、
現代社会は2つのニーズ、すなわち
「個人からの貢献を得る」というニーズと
「自らの目的達成のための道具として組織を使う」という個人のニーズを
同時に満たすことができる。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年3月11日
驚くほど多くの人たちが、
仕事にはいろいろな仕方があることを知らず、
そのため得意でない仕方で仕事をし、
当然成果はあがらないという結果に陥っているとドラッカーは言う。
生まれつきか育ちかは別として、
個性は仕事に就くよりもはるか前に形成される。
仕事の仕方もまた、強みと同じように与件である。
修正はできても、変更はできない。
人は強みを発揮できる仕事で成果を上げるように、
得意な仕方で仕事の成果を上げる。
仕事の仕方について初めに知っておくべきは、
まず読む人間か聞く人間かである。
人と組んだ方がよいのか、
一人の方がよいかも知らなければならない。
組んだ方がいいのであれば、どのように組んだ時、
良い仕事ができるのかを知らなければならない。
リーダー役か補佐役かもある。
さらには、緊張や不安があった方が仕事ができるか、
安定した安心な環境のほうが仕事ができるかも知らなければならない。
大きな組織で歯車として働いた方が仕事ができるか、
小さな組織のほうが仕事ができるかという問題もある。
今さら自らを変えようとしてはならない。
うまくいくわけがない。
自らの得意とする仕事の仕方を向上させていくべきである。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年3月3日
さらに考えるべきことが、顧客は何を買うかである。
キャデラックを買う人は、交通手段を買っているのか、
ステータスを買っているのか。
キャデラックはシボレーやフォードと競争しているのか、
ダイヤモンドやミンクと競争しているのか。
次が、顧客は何を重視するかである。
これまでの経済理論は、ほかに答えのありえようはないとばかりに、
一語をもって答える。価格である。
ドラッカーはその答えを間違いであるという。
価格が重要でない製品はない。しかし、
第一に、価値としての価格は単純な概念ではない。
下取りを伴って販売される自動車市場では、
価格は新車と一時中古車、二次中古車、三次中古車のあいだで
変動する価格差の総体である。
第二に、価格は価値の一部にすぎない。
価値は耐久性、故障率、信用度、純正度など
製品の品質にかかわるあらゆる種類の要素がある。
第三にサービスをはじめとする顧客側の価値感がある。
主婦は電化製品を買う時、アフターサービスを気にする。
顧客が価値と考えるものはあまりに複雑であって、
彼らだけが答えられることである。
憶測してはならない。
顧客のところへ行って答えを求める作業を体系的に行わなければならない。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年2月24日
ドラッカーは、企業は事業を止めることができ、
しかもやめざるを得なくなることがあるという。
いかに頑固であろうと、市場の試練には抗しきれない。
さらにドラッカーは、企業は社会が消滅を許す唯一の組織だともいう。
病院や大学はいかに役立たず生産的でなくとも、
戦争や革命でも起こらない限り、その消滅は社会が許さない。
企業は利益を上げる。逆にそのことによって、
損失を被るリスクを負う。このリスクが企業の強みにつながる。
あらゆる組織の中で、企業だけが業績の試練を受ける。
利益が企業の評価基準になる。
いかに陳腐化しても、病院はコミュニティに必要とされる。
最低水準の大学さえ、ないよりはましと言ってもらえる。
コミュニティや卒業生がわれらの大学を守る。
消費者にはそのような感覚はない。
長いこと使ってきた製品であっても、買う義務があるとは思わない。
どれだけ便利か、どれだけ安全かだけを考える。
役に立たなければメーカーが消滅しても残念には思わない。
消費者が企業に対して、「利益を上げすぎるな」との主張は俗受けする。
社会からのその主張に対して、その損失を被ることのリスクを負い、
あえてそのリスクを受け入れるのは政府ではなく投資家である。
資本主義社会で私有であることが重要なのは、
社会が倒産し、消滅しうる組織を必要とするからである。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年2月18日
今日のイノベーションの議論において
意味なく強調されている「創造性」なるものは、
問題の鍵ではないとドラッカーは言う。
アイデアはすでに企業だけではなく、
あらゆる組織に利用しうる以上に存在している。
ビジョンが事業の未来を築くには、厳格な条件を満たさなければならない。
実用的な有効性を持たなければならない。
実現したいことを実現するには長い時間かかることがある。
あるいは、永久に実現できないことがある。
しかし実現した暁には、
成果としての製品やプロセスやサービスに
顧客や市場に対する最終用途が存在しなければならない。
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う。
そのとき、今日、最強の企業といえども、
未来に対する働きかけを行っていなければ、苦境に陥る。
個性を失い、リーダーシップを失う。
残るものといえば、大企業に特有の膨大な間接費だけである。
マネジメントたる者は、
自らの手に委ねられた人的資源に怠惰な執事に留まらないためにも、
未来において何かを起こす責任を受け入れなければならない。
進んでこの責任を引き受けることが、
単なる優れた企業から偉大な企業を区別し、サラリーマンから事業家を峻別する。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年2月4日
ドラッカーは、すべての仕事について、
なにもしなかったならば何が起こるかを考えればよいと言う。
何も起こらないのであれば、その仕事はただちにやめよということになる。
やめても問題のないことをいかに多く行っているかは、驚くほどである。
楽しみでも得意でもなく、
しかも古代エジプトの洪水のように毎年耐え忍んでいる行事、
スピーチ、夕食会、委員会、役員会が山ほどあるはずだと言う。
なすべきことは、自らの組織、自分自身、あるいは貢献すべきほかの組織に
なんら貢献しない仕事については、ノーと言うことである。
地位や仕事を問わず、時間を要する手紙や書類の4分の1は、
くずかごに放り込んでも気づかれもしない。
そうでない人にお目にかかったことはないとも言う。
自らがコントロールし、
自らがとり除くことのできる時間浪費の原因を排除しなければならない。
簡単に分かる兆候はない。
だが、発見のための簡単な方法はある。
聞けばよい。
「あなたの仕事に貢献せず、
ただ時間を浪費させるようなことを私は何かしているか」と
定期的に聞けばよい。
答えを恐れることなく、こう質問できることが成果をあげる者の条件である。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年1月26日
知識労働者は生計の資だけの仕事では満足できない。
彼らの意欲と自負は、知識人としての専門家のものである。
知識労働者は知識をもって何事かを成し遂げることを欲する。
したがって、知識労働者には挑戦の機会を与えなければならない。
知識労働者に成果をあげさせるべくマネジメントすることは、
社会や経済にとってだけではなく、彼ら本人のために不可欠である。
知識労働者は、
自らがなすべきことは上司ではなく知識によって、
人によってではなく目的によって規定されることを要求する。
知識には上級も下級もない。
関係のある知識とない知識があるだけである。
したがって知識労働はチームとして組織される。
仕事の倫理が、仕事の中身、担当する者、期間を決める。
有能なだけの仕事と卓越した仕事の差は大きい。
そこには職人と親方以上のものがある。
知識労働ではこれが顕著に現れる。
知識労働は一流を目指さなければならない。
無難では役に立たない。
このことがマネジメント上重大な意味をもつとともに、
知識労働者自身にとっても重大な意味を持つ。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年1月21日
この隔離弧絶にはやむをえない面がある。
仕事以外に人に会う時間がない。
仕事に直接関係ない情報は切り捨てられる。
人との付き合いも、社内だけとは言わないまでも、
同業、同類、取引先が中心となる。
「外部には利害忠誠の対象を持つ勿れ」、
とは軍人だけのことではない。
かくして経営幹部の生活は、軍人同様に狭い世界のものとなる。
しかも、それを是とする。
ドラッカーは、企業の経営幹部たる者は、
まず社会からの隔離弧絶を改善することが急務だという。
この経営幹部の視野の狭さは、企業にとってあまりに危険である。
企業は社会のためにある。
そのうえ、社会に生きている。
しかるに、社会から隔離された経営幹部は、
仕事の世界しか理解できない。
社会の動きが企業とその生存に影響を与えることは理解できる。
しかし、最大の問題は、外の世界がなぜそのように動くかを理解できず、
いかに動くかを予知できないところにある。
トップに近い位置にある者は組織の虜たらざるをえない。
したがって問題は、企業の経営幹部に対し、
いかにして起業外の視点、
世の中のものの見方への理解を深めさせるかにある。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年1月11日
上司の言動、些細な言葉じり、
癖や習慣までが、計算され意図されたものと受け取られる。
階層ごとに、ものの見方があって当然である。
さもなければ仕事は行われない。
だが、階層ごとにものの見方があまりに違うため、
同じことを話していても気づかないことや、
逆に反対のことを話していていながら、
同じことを話していると錯覚することがあまりに多い。
ドラッカーは「大工と話すときは、大工の言葉を使え」との
ソクラテスの言葉を引用する。
コミュニケーションは受け手の言葉を使わなければ成立しない。
受け手の経験に基づいた言葉を使わなければならない。
コミュニケーションを成立させるには
受け手が何を見ているかを知らなければならない。
その原因を知らなければならない。
人の心は期待していないものを知覚することに抵抗し、
期待しているものを知覚できないことに抵抗する。
受け手が期待しているものを知ることなく、
コミュニケーションを行うことはできない。
期待を知って初めてその期待を利用できる。
あるいはまた、受け手の期待を破壊し、
予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるための
ショックの必要を知らなければならない。
【3分間ドラッカー 上田淳生】
Posted on 2014年1月6日
組織の内部に発生するものは、コストであって成果ではない。
いかに生産性の高い工場といえども、
製品が売れなければコストの発生源にすぎない。
企業は市場の支配下にある。この市場の力ゆえに、
いかに強大な企業といえども、
組織内部の関心を組織外部における成果に従属させざるをえない。
これまでマーケティングは、
販売に関する全職能の遂行を意味するにすぎなかった。
だが、それではまだ、われわれの「製品からスタート」している。
マーケティングは「顧客からスタート」する。
顧客の現実、欲求、価値から始まる。
「われわれの製品にできることはこれである」ではなく、
「顧客が価値あるとし、必要とし、求めている満足はこれである」という。
マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、
製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである。
だが、ほとんどの企業が、
マーケティングのことを、製品を売り、引き渡すことによって、
報酬を得るための体系的な活動としか理解していない。
【3分間ドラッカー 上田淳生】